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J.D.ドリュー

アメリカの野球選手 (1975 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

デイヴィッド・ジョナサン・ドリュー(David Jonathan "J. D." Drew, 1975年11月20日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州バルドスタ出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。

生年月日 (1975-11-20) 1975年11月20日(50歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
J.D.ドリュー
J.D.Drew
ボストン・レッドソックス時代
(2011年4月26日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ジョージア州バルドスタ
生年月日 (1975-11-20) 1975年11月20日(50歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 ドラフト1巡目(全体2番目)
初出場 1998年9月8日
最終出場 2011年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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弟のティム・ドリュースティーブン・ドリューも同じく元メジャーリーガー。代理人はスコット・ボラスだった。

経歴

プロ入り前

1994年MLBドラフトサンフランシスコ・ジャイアンツから20巡目で指名されるが、契約せずフロリダ州立大学に進学。

1997年ゴールデンスパイク賞を受賞し、大学野球史上初のシーズン30本塁打・30盗塁を記録するなど活躍[1]


1997年MLBドラフトで弟のティムがクリーブランド・インディアンスから1巡目で指名されており、ドリューもフィラデルフィア・フィリーズから1巡目(全体2番目)で指名されたことにより史上初の同一年ドラフト1巡目指名の兄弟となったが[1]、球団側は契約金200万ドルを含む4年総額600万ドルに対し[2]、代理人のスコット・ボラスが総額1,100万ドルの契約金を要求し決裂したと言われている[1][3]

独立リーグノーザンリーグセントポール・セインツでプレーする。44試合に出場し、打率.318・18本塁打・50打点を記録し、リーグの最優秀新人賞を受賞[1]

カージナルス時代

1998年MLBドラフトセントルイス・カージナルスから1巡目(全体5番目)で指名され、総額850万ドルの4年契約を結び、契約金はドラフト指名選手として史上最高となる300万ドル[3]。球団関係者は、ロースターの枠が40人に拡大される9月にメジャー昇格を果たす確率が高いと見ており[3]、AA級とAAA級で45試合出場し、9月8日のマーク・マグワイアがシーズン62本塁打を放ち、シーズン最多本塁打記録した試合でメジャーデビューをしている[1]

1999年8月10日にメジャー昇格後初のベテランズ・スタジアムでのフィリーズ戦で球場全体から憎悪の視線がドリューへ向けられた[2]。8回にドリューが守備に就いた時にはフィリーズファンが乾電池を投げ込み、試合が10分間中断となり、球審は「これ以上騒ぎが大きくなれば没収試合にするぞ」と警告を促した[2]

ブレーブス時代

2003年オフにアトランタ・ブレーブスにトレードされ、2004年は自己最高の31本塁打・93打点を記録し、6月30日から7月26日にかけてジェフ・ケントの25試合連続安打に次ぐこの年リーグ2番目の長さとなる22試合連続安打を記録し[4]、MVPの投票では6位に入っている。

ドジャース時代

2003年シーズン後の12月にブレーブスの3年総額2500万ドルを上回る金額を提示したロサンゼルス・ドジャースと5年5,500万ドルの契約を結んだ[5]

レッドソックス時代

2006年オフにドジャースとの間に残っていた3年3,300万ドルの契約を自ら放棄し退団。ボストン・レッドソックスと5年7,000万ドルの契約で合意。故障が多いため契約に「肩の古傷の再発で35日以上の故障者リストに入ったり、新たな故障でプレーできなくなったりした場合は、最後の2年間の契約を破棄できる」という条項がある[6]。また、契約合意直後の身体検査で右肩に異常が見つかったため、正式な契約締結は遅れた[7]

2008年6月に初の月間MVPを受賞し、デビッド・オルティーズの離脱の影響を最小限に食い止めた[8]。初選出となったオールスターゲームでは7回に同点2ランを放つなど4打数2安打2打点の活躍を見せMVPに輝いた。

2009年は、打率.279・24本塁打・68打点という成績を記録。レッドソックス移籍後では初の20本以上のシーズンとなった。

2010年は、2年連続で20本以上の本塁打を放ったが、チャンスでの弱さが目立ち、本塁打22本中16本がソロだった[9]

2011年、5年契約を満了しFAとなり、引退した。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1998 STL 14413691531535130001400104.417.463.9721.435
1999 10443036872891661315639193335006774.242.340.424.764
2000 135486407731201721819557179516746993.295.401.479.880
2001 109443375801211852723073133345744756.323.414.6131.027
2002 135496424611071911818256823457481044.252.349.429.778
2003 1003282876083133151474222203603486.289.374.512.886
2004 ATL 145645518118158288312959312313118251167.305.436.5691.005
2005 LAD 723112524872121151313611035135503.286.412.520.932
2006 1465944948414034620246100231689841064.283.393.498.891
2007 BOS 14055246684126304111976442067910110012.270.373.423.796
2008 109456368791032341919164410579548011.280.408.519.927
2009 137539452841263042423668261182531096.279.392.522.914
2010 1395464786912224222216683104603410512.255.341.452.793
2011 812862482355614752201033342582.222.315.302.617
通算:14年 1566615351739441437273482422532795873719448625255113784.278.384.489.873
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  • 2011年度シーズン終了時

記録

脚注

関連項目

外部リンク

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