J・T・レディ
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ジェイソン・トッド・"J.T."・レディ(Jason Todd "J.T." Ready, 1973年2月17日[1][2] - 2012年5月2日)は、アメリカの政治活動家。元々はアメリカ海兵隊の隊員だったが不行跡除隊(bad conduct discharge)処分を受けている。その後はネオナチの活動に関与し、国家社会主義運動(National Socialist Movement, NSM)の党員を経て[3]、アメリカ=メキシコ国境で活動する民兵組織を創設し[4]、自ら指揮官を務めた。また、アリゾナ州ピナル郡の保安官(sheriff)を選定する保安官選挙にも立候補していた[5]。2012年5月2日、アリゾナ州ギルバードの自宅にてガールフレンドと彼女の娘、孫娘、娘の婚約者の3名を射殺した後に自殺した[4][6]。
ジェイソン・トッド・レディはフロリダ州マルベリーのマルベリー・ハイスクールを卒業している[7]。同校在学中にレディは何件かの違法行為に手を染めている[7]。
軍歴
その後、レディはアメリカ海兵隊に入隊し、上等兵(lance corporal)まで務めた。パリスアイランド志願兵訓練所を経て、ノースカロライナ州の歩兵学校を卒業している。その後はキャンプ・ペンドルトン海兵隊基地の第1軽機甲偵察大隊B中隊に配属された。しかしすぐに中隊から外され、LAV-25付の偵察兵としてM249軽機関銃の射手に任命された。トゥエンティナイン・パームス海兵隊空陸戦センターでの演習の折には、M249軽機関銃を持たずに集合し、小隊付軍曹からその場で処分を受けている。1995年11月15日にはB中隊が第15海兵遠征部隊(15th MEU)に参加して輸送艦USSアンカレッジに配置されるものの、レディは体力練成訓練の一環として行われたサッカーの試合で膝を痛めていた事と体重超過を理由に、MEU参加要員から除外されている。1996年秋からキャンプ・ペンドルトン基地の任務の1つである、週末の不法移民捜索に参加する。当時、彼はオーシャンサイドの軍用品取扱店を頻繁に訪れ、ラペルロープなど彼の任務には不必要な多くの装備品を購入していたという。彼は『若き勇者たち』などの戦争映画を好んでいた他、軍歌『グリーン・ベレーのバラード』の歌詞は完全に暗記しており、またミリタリーケイデンスのCDを流して大声で歌っていたという。
軍法会議
レディはその軍歴の中で2度も軍法会議で裁かれている。1度目は3ヶ月間の禁固と降格の処分を受け、1996年の2度目の軍法会議では不行跡除隊(bad conduct discharge)処分の判決を受けて海兵隊を追われている[8]。軍法会議では窃盗、暴行、命令不履行、無許可離隊について有罪判決が下された[9]。彼はアリゾナ州メサで行われる予定だった2006年度復員軍人の日記念式典の司会に指名されていたが、この処分により取り消されている[10]。