国立自然史博物館 (フランス)
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沿革
国立自然史博物館の起源は、1635年にフランス国王ルイ13世が創設し、王の侍医により監督運営された「王立薬草園」(Jardin royal des plantes médicinales)に溯る。1718年3月31日、ルイ15世の勅令によって医学的な機能は排除されて、自然史に集中することになったので、単に「王立植物園」(Jardin du Roi)として知られるようになった。
18世紀の大半(1739年 - 1788年)、指導的な啓蒙思想の博物学者の一人ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォンの監督下にあって、王立庭園は国際的な名声と社会に対する信望を獲得した。特筆すべき功績としては、1749年から1768年にかけて全15巻からなる百科事典『博物誌』を刊行したことが挙げられる[1]。フランス革命中の1793年6月10日、国民公会により国立自然史博物館が正式に発足し、王立庭園は自然史博物館に編入された。その後も一世紀にわたり活発な活動を続け、特に化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの監督下にあって、科学的研究においてパリ大学と拮抗するようになった。
1891年12月12日の法令により国立自然史博物館は自然史に重点を置くよう戻された。1907年に財政的な自立を獲得した後、1934年にパリ動物園を、1937年に人類博物館を開館した。21世紀前半には人間による環境開発の影響を研究・教育することに力を注いでいる。
組織
国立自然史博物館の使命は、基礎及び応用双方の研究と、知識を一般に広めることにある。その組織は、7つの研究部門と、3つの教育部門とからなっている。その研究部門は、分類・進化部門、制御・発生・分子多様性部門、水環境・生物集団部門、生態学・生物多様性管理部門、地球史部門、人間・自然・社会部門、先史部門である。また教育部門は、パリ植物園内の陳列館、植物園及び動物園、そして人類博物館(Musée de l'Homme)である。
国立自然史博物館は、パリ第5区(最寄駅:パリメトロプラス・モンジュ駅)のパリ植物園内にある当初からのものの他、フランス全土に施設を有する。パリ植物園にある陳列館は、鉱物学・地質学陳列館、比較解剖学・古生物学陳列館、そして進化大陳列館(Grande Galerie de l'évolution)である。博物館所属の古くからある動物園(Ménagerie)もこの植物園内にある。
展示場と庭園
国立自然史博物館(MNHN)の発祥の地であり現代の所蔵品の大部分が収蔵されている5つの施設がパリ植物園内にある。これらは、進化部門、鉱物学と地質学部門、植物学部門、古生物学・比較解剖部門の4つの展示場と、昆虫学研究所である[2]。
進化部門の大展示場
- 進化部門の大展示場の庭園側の正面
- 進化部門の大展示場の内部
- ヒゲワシ(Gypaetus barbatus)の標本
- 進化部門の展示場内に展示されている9メートルのダイオウイカ(Architeuthis sanctipauli)のプラスティネーション
- オーギュスタン・パジュー(Augustin Pajou)が制作したビュフォン像
MNHNは「自然科学のルーヴル美術館」と呼ばれている[3]。 最大かつ最も有名なギャラリーは、中央通路の突き当たりにある、整形式庭園に面した進化部門の大展示場である。この大展示場は、同所の隣にビュフォン(Buffon)によって以前建てられた新古典主義の展示場に取って代わるものであり、この旧展示場は1785年に開館し1935年に取り壊された。1872年にパリの有力なエコール・デ・ボザールの教師であった建築家ルイ=ジュール・アンドレによって提案され、1877年に着工された。この展示場はボザール建築の代表例である。1889年のパリ万国博覧会に合わせて、エッフェル塔の展示と同時に開館された。当初の設計どおり完成することはなく、庭園から離れた、ジェフロワ=サン=ティレール通りに面した建物の側面に計画されていた新古典主義の入口は設置されなかった[4]。
建物の正面は、庭園の背景として特別に設計された。庭園に面した正面は11本の横木により分かれており、そのうち10本には、フランス国立自然史博物館(MNHN)にゆかりのある著名なフランス人科学者を称えるメダルの彫刻が飾られている。中央の横木には、建物に面したビュフォンの像と似たポーズで本を手に座る女性の大きな大理石像が置かれている。これらの彫像は、彫刻家プラディエの弟子であるウジェーヌ・ギヨームの作品である。
建物の外観は新古典主義様式であったが、内部の鉄骨構造は19世紀としては極めて近代的で、同時代のオルセー駅と同様であった。内部には、長さ55メートル、幅25メートル、高さ15メートルの巨大な長方形の広間があり、40本の細い鋳鉄製の柱で支えられており、当初は1000平方メートルのガラス屋根で覆われていた。建物は技術的な問題により、1965年に完全に閉鎖された。1991年から1994年にかけて大規模な改修が行われ、現在の形で再開された[5]。
中央の大広間は、近代化の際、元の形を保ったまま拡張され、下部の両側に海洋生物の展示があり、中央の台座には、実物大のアフリカ哺乳類の展示があり、その中には18世紀にルイ15世に献上されたサイも並んでいる。庭園側には、元の規模のままの別の広間があり、絶滅した動物や絶滅危機に瀕している動物の実物大の展示に充てられている[6]。
