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論理哲学論考

1921年に出版されたウィトゲンシュタインの著作 From Wikipedia, the free encyclopedia

『論理哲学論考』(ろんりてつがくろんこう、独: Logisch-philosophische Abhandlung、羅: Tractatus Logico-Philosophicus)は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学書。日本語ではしばしば『論考』、英語圏では単に Tractatus と略称される。第一次世界大戦中から執筆が進められ、今日よく知られる英独対訳版が1922年に刊行された。ウィトゲンシュタインが生前に単行本として刊行した唯一の哲学書であり、一般にその前期哲学を代表する著作とされる。

本書は、世界・思考・言語の関係を考察し、言語によって有意味に語りうるものの限界を明らかにすることを主題とする。ウィトゲンシュタインは、有意味な命題を世界において成立しうる事態の「像」と捉え、命題と世界とが論理形式を共有すると考えた。また、複合的な命題を要素命題の真理関数として捉え、論理や数学、倫理、価値などの問題を通じて、「語ることのできるもの」と「語ることのできないもの」との境界を論じている。

『論考』はバートランド・ラッセルやフランク・ラムゼイらによって論じられ、とりわけ1920年代のウィーン学団によって集中的に研究されるなど、20世紀の分析哲学および論理実証主義の展開に大きな影響を与えた。ウィトゲンシュタイン自身はその後、同書で採られた考えの多くを再検討し、後期には『哲学探究』に代表される異なる哲学的方法を展開した。

成立

思想形成と執筆

青年期のウィトゲンシュタインは、彼の姉マルガレーテの影響もあり、いくつかの哲学書を読んだ。その読書経験は『論考』に現れる彼の哲学にも影響を残したとされる。たとえば『論考』の記述には、アルトゥル・ショーペンハウアーの著書『意志と表象としての世界』の影響が指摘されている[1]。

その後、数学基礎論への関心を深めたウィトゲンシュタインは、1911年、ゴットロープ・フレーゲの勧めを受けてケンブリッジ大学を訪れ、バートランド・ラッセルのもとで論理学と哲学の研究を始めた。この時期の考察は1913年の『論理に関するノート』や、翌1914年にG・E・ムーアに口述したノートに記録されており、『論考』直接的な前史をなしている。たとえばムーアに口述させたノートには、『論考』における重要な概念である「語る」と「示す」の区別があらわれている[2]。

1914年に第一次世界大戦が始まると、ウィトゲンシュタインはオーストリア=ハンガリー帝国軍に志願した。その従軍中にも、彼はノートを哲学的考察を書き続けた。これらは後に『草稿1914-1916』[3]として刊行されている。当初は論理や言語をめぐる問題が中心であったが、1916年7月頃からは意志、倫理、価値、生の意味などについての考察も多く現れるようになった。こうした主題は、『論考』6.4以降の倫理、意志、生、神秘的なものをめぐる命題群へと引き継がれた[4]。

ウィトゲンシュタインは、こうしてノートや草稿に蓄積された命題を改訂・再配置しながら、一冊の著作へとまとめていった。この成立過程を示す重要な資料として、後に『原論考』(Prototractatus)と呼ばれる草稿が残されている。この草稿には、最終版『論考』の多数の命題とその番号体系がすでに現れている。

出版

『論考』の完成後、ウィトゲンシュタインはその出版を試みたが、出版社からは次々に断られ、その活動は難航した。とくにドイツのレクラム社はラッセルの序文を付すことを出版の条件としたが、ウィトゲンシュタイン本人はその序文に不満だったこともあり、出版交渉を断念し、その後の出版をラッセルに委ねた[5]。

1921年、ラッセルの手配によって『論考』はドイツの哲学誌『自然哲学年報』(Annalen der Naturphilosophie)に、Logisch-philosophische Abhandlungの題で初めて公刊された。しかしこの版は出版時にウィトゲンシュタインの校閲を受けておらず、結果として多数の誤植や組版上の誤りを含んでいた。[6]

『年報』版の出版後も、ラッセルはC・K・オグデンとともに英訳つきでの出版を計画していた。英訳はオグデンが行い、フランク・ラムゼイが翻訳および刊行準備に協力した。ウィトゲンシュタイン自身も英訳とドイツ語本文の校訂に関与した。そして1922年、ロンドンのキーガン・ポール・トレンチ・トリュブナー社(現ラウトレッジ)からドイツ語原文と英訳を併記した単行本がラッセルの序文とともに刊行された[7]。この版においてつけられた、こんにちよく知られたラテン語表題Tractatus Logico-PhilosophicusはG・E・ムーアの提案による。このタイトルはスピノザの著書『神学・政治論』(Tractatus Theologico-Politicus)を踏まえたものである[8]。

構成

『論理哲学論考』は、通常の章や節からなる連続的な散文ではなく、番号を付した多数の命題を配列するという形式をとっている。全体の骨格をなすのは7つの主要命題であり、命題7を除くそれぞれの主要命題には、小数番号を付した命題が段階的に従属する(たとえば、命題1には命題1.1、命題1.11などが付属する)。

7つの主要命題の原文およびその和訳は以下の通りである(和訳の訳出には岩波文庫版『論理哲学論考』[9]を参考にした)。

  1. Die Welt ist alles, was der Fall ist.(世界とは、成立していることがらのすべてである。)
  2. Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten.(成立していることがら、つまり事実とは、諸事態の成り立っていることである。)
  3. Das logische Bild der Tatsachen ist der Gedanke.(事実の論理上の像が、思考である。)
  4. Der Gedanke ist der sinnvolle Satz.(思考とは、有意味な命題である。)
  5. Der Satz ist eine Wahrheitsfunktion der Elementarsätze. (Der Elementarsatz ist eine Wahrheitsfunktion seiner selbst.)(命題は、要素命題の真理関数である。(要素命題は、自分自身の真理関数である。))
  6. Die allgemeine Wahrheitsfunktion ist: . Die ist die allgemeine Form des Satzes.(真理関数の一般形式は、である。これは命題の一般形式である。)
  7. Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.(語ることができないものについては、沈黙しなければならない。)

内容

語の注釈

意義と意味
前期ウィトゲンシュタインにおいては、意義(内包的意味 英: sense、独: Sinn)は命題が表す事態、意味(外延的意味 英: reference, denotation、独: Bedeutung)は指し示す対象のことである。現実と言語の間では、名前(名辞)が対象に対応し、事実の論理形式が命題の論理形式に対応する。
語ると示す
語りうることとは、真偽命題(しかじかが、これこれである、という事態が存在する)の形で表現可能なことであり、(前期)ウィトゲンシュタインにとっては、これが、言語、有意味に語りうることの領域に重なる。示しうることは、そのような形で表現可能ではないが、しかし言語によって了解させることができることである。

命題 1.*-3.*

命題 1.*-3.* とその補助命題の主要テーゼは、ウィトゲンシュタインの写像理論である。

  • 世界は相互に連結された諸々の原子的事実の総体からなっており、一方で命題群は世界の「像」を為している。
  • ある一つの像がある一つの事実を映す為には、この像は、何らかの形で、その事実と同じ論理構造を保有していなければならない。こうして、言語表現をある種の幾何学的投影とみなすことができる。そこでは、言語はさまざまに投影された可変的な形式にあたり、その言語表現の論理構造は変化しない幾何学的な関係にあたる。
  • 複数の論理構造の間で、何が共有されているかを、言語によって語ることはできず、ただ、示すことしかできない。われわれの使用している言語は、こうした関係に依存しており、その為に、われわれは、言語の外に言語によって出ることはできないからである。

命題 4.*-5.*

命題 4.*-5.* とその補助命題を通じて、ウィトゲンシュタインは論理的な理念的言語の構成のために必要になる形式的な諸装置を追究した。彼の用いた真理値表は、今では命題論理の意味論を説明するための標準的な手段となっており、真理値表がない場合よりも厳密な考慮を形式論理学にもたらす。

  • 5.2522「ある形式的系列 a, O' a, O' O' a, ... の一般項を [a, x, O' x] と書くこととする。このとき、このカッコ内の記号表現は変項であり……」

命題 5.2522 は数学的帰納法を表現している。 a は述語であり、O' a は a に対する操作である等々。この記法が命題6以降で用いられるが、それによって a のありうる真理関数すべての外延を示すことが意図されているのである。

命題 6.*

命題6の始まりで、ウィトゲンシュタインはすべての言明の本質的形式を次のように仮定している。

ここで記号の意味を解説する。

  • は要素命題を表現している。
  • は諸命題の任意の部分集合を意味する。
  • は を構成するすべての命題の否定を意味する。

命題6が実際に語っているのは、要素命題の総体に対する一連のNAND(否定論理積)演算によって、どんな論理的言明も派生させることができるということである。これは実際は、ヘンリー・シェーファーによる著名な論理学の定理であり、ウィトゲンシュタインはこれを利用している。

続く命題6の補助命題群において、彼は論理学のより哲学的反省、つまり知識や思考、アプリオリや先験的、超越的、といった理念に関連する問題へと移る。最後の一節では、論理学と数学はトートロジーと先験的、超越的なものしか表現しないと論じられる。たとえば、それらは「形而上学的主体」にとっての世界=経験される現象の世界の外側に位置している。他方で、論理的に「理想的」な言語は意味を持っているのではなく、世界を反映する。そうである以上、論理的な言語の文は、事実を単に反映しているのでないなら、もはや意味あるものであり続けることはできない。

最後にウィトゲンシュタインは宗教的考慮ともみなされうるものへと方向を転じる。これは命題6.3と6.4の間の懸隔に見ることができる。論理実証主義者にとっては、6.4以前の『論考』の命題は受け入れることが可能だろう。しかし、6.41とそれに続く命題群は、倫理もまた先験的・超越的であると論じ、言語によっては検証できないとする。それは美学の一形式であり、表現不可能なのである。自由意思、死後の生、神について論じ始める。彼はそうした論題を検証して、そうした事柄の議論はすべて、論理の誤用であるとする。

特に、論理的な言語は世界をただ反映できるだけなのだから、神秘的な、つまり「形而上学的主体」の枠内の(主体は、世界の限界を為し、世界の内部には存在しない)世界の外部にあるものについての議論は、無意味なものとなる。このことは、倫理や形而上学などの、哲学の伝統的な論題の多くが、有意味に議論することはできない、ということを示唆する。そうしたものを論じようとしても、直ちにすべての意味が失われることになる。こうしたことはまた、言語を解き明かそうという彼自身の計画が、まさしくほかならぬこれらの理由で不可能であることを示唆する。彼は、哲学の試みは、究極的には、その外部にあるものではなくて世界を反映しようとする論理的実践のために、放棄されなければならないという。彼によれば、自然科学こそがまさしくそのような実践なのである。

テキストの最後で、彼はアルトゥル・ショーペンハウアーに由来する類比を借りて、本書を、ひとが上りきったときは放り投げなければならない梯子に例えている。それによって、彼は、ひとは本書の哲学を通じて哲学の全くの無意味さを理解しなければならない、と示唆しているのである。

命題 7

この書物の掉尾を飾る命題7は補助命題を持たない。つぎの命題によってこの書物は閉じられる。「語りえないことについては、沈黙するほかない」。

解説

1と2から、世界は事実の総体であり、すなわち成立している事態の総体である。そして事態とは、対象が組み合わされてできる論理的な関係のことであると定義される。例えば、「花が咲く」という事態は、現実であることも現実でないこともありうる。

世界はこのうち現実に成り立っている事態の総体である。命題は、この際に、その事態が、現実に成立しているかどうか(すなわちその真偽)を告げる。要素命題が、それ自身の真理関数であるということは、例えば「花が咲いている」という要素命題は、「花が咲いている、ということが真である(現実である)」を同時に意味している、ということである。つまり、要素命題は、それ自身の真偽の値を持ち、要素命題からなる複合的な命題の真理値は、それを構成している要素命題の真偽から一意的に、論理的な計算によって定まる。

こうして、『論考』は、現実世界の対象について、その間にどのような関係が成立しているかどうかについての真偽の知識を与えない命題は、意味を持たない、ナンセンスな命題であると述べる。したがって、自然科学こそが、すぐれて有意味な言明を与えるわけである。これが、『論考』の遂行する従来の哲学、形而上学批判である。この視点においては、哲学的命題は、『論考』自体も含めて(『論考』の諸命題もまた、現実の諸対象と、その間に成り立っている事態について記述しているわけではない)、矛盾しているがゆえに意義を持たないか、指示対象を持ち得ないゆえに無意味な命題であることが明らかになる。哲学に残されているのは、『論考』自身のように、そのこと自体を示すことだけとなる。

こうした観点からは、自我・意志・倫理・価値・神等は、それについての命題がどのようなものであれ、世界内の事実についての記述ではありえないがゆえに、意味を持たない疑似命題であり、語りえない事柄に属するとされる。たとえば、価値や主体や自我は世界内の存在ではなく、世界の記述の視点のことであるから、それがいかなるものであろうと、そのことによって、世界内の事実、対象の間の関係が変化するわけではない。同様に、実在論と独我論との完全な一致も主張される。どちらの観点を取ろうと、言明される事実は同一だからである。

なお、『論考』が、要素命題を、名辞を含みつつも、それ以上分析できない単位としたことは、フレーゲの文脈原理を受け継いでいる。

また、語の意味を、その外延的な現実世界における指示対象によって定義し、主観的思想内容による定義を排除しようとしている点では、バートランド・ラッセルの系譜の議論を引き継ぎ、その後のやはりあくまでも外延的な指示の理論として展開する、分析哲学の意味理論の傾向を確固たるものとしたといえる。

語りえぬもの

『論考』の最後の命題「語りえないことについては、沈黙するほかない」は形而上学の終焉を告知する言葉として広く知られており、現在でもしばしば引用される。しかし、この命題は神秘主義的で不可知論的な命題が語られているわけでも、あるいは逆に形而上学的な領域の存在を否定しているわけでもない。

『論考』においては、語られえないものは示されうる。命題的に語られうるものを最大限明晰に語りきることによって、語り得ず、ただ示されうる領域を示すことは可能であり、まさしく『論考』はそのような行為を遂行しようとしたのであった。

有意味な(即ち、真偽について判断を為しうる)命題として形而上学的、あるいは価値的領域(『人生の問題』)を語ることができない、という『論考』の主張は、そのような領域が存在することを否定するものではない。そうではなく、形而上学的領域を「語って」しまう形而上学は意味を為さない命題の集合に堕すほかない、ということを意味している。

決して、原理的に真偽について判断を為しうる種類の事柄ではない、ということは、それが、了解の外部にあるということではないし、言語を超えた、あるいは情緒的な、何か神秘的な了解のコミュニケーションがあるのだ、ということでもない。あくまでも「示されうること」は、平明で具体的な言語などの実践を通じて、その意味内容としてではなく効果として了解されうることを指すのである。

この主題系は、ジョン・L・オースティンの事実宣言的(コンスタティブ)と行為遂行的(パフォーマティブ)の区別とずれながらも一部重なるところもあり、何よりも後期ウィトゲンシュタイン自身によって『哲学探求』において追求された。そこでは言語は現実の像としてではなく、ある種のゲームにおける実践として捉えられている。

受容と影響

ウィトゲンシュタインは『論考』によってすべての哲学的問題は解かれたとみなし、その出版をもって引退し、オーストリアの小学校教師となった。

この間、この書物は、ケンブリッジ大学の数学者兼哲学者であるフランク・ラムゼイ(当時まだ十代)の手を借りてチャールズ・ケイ・オグデンによって英語に訳された。『論考』はまたウィーン学団の哲学者たちの、とりわけルドルフ・カルナップとモーリッツ・シュリックの注意を惹いた。彼らのグループは、このテキストについて何ヶ月もかけて一行もおろそかにせず喧々囂々の議論を行った。シュリックは最後にはウィトゲンシュタインにウィーンを訪れたときには『論考』について彼らと議論することへの同意を取り付けた(当時彼は建築家として働いていた)。

ウィトゲンシュタインは、学団ときちんと会合しようとはせず、ただシュリック、カルナップ、ワイスマンを含むそのメンバーの何人かとだけ会った。しかし、しばしば、彼は哲学について議論することを拒み、会合をやめて、壁に椅子を向けて詩を暗誦するのだと言い張った。彼は、カルナップが許可もなく彼の考えのいくつかを使ったと信じるようになった後では、彼ら学団のメンバーとの形式的な関係さえもすっかり絶つようになった。

『論考』は、日常言語は、その通常の使用においては、まさしく世界内の自然的事実関係を記述するものとして使用されるがゆえに、十全なものであると前提している。しかし、学団の論理実証主義者たちは、『論考』の無意義な命題への批判を、そのような命題を可能にする日常言語の欠陥への批判であると受け止め、数理言語・人工言語によって為される自然科学のみを有意な言明として位置づけ、有意義な言明のみを産出するような普遍言語、論理的言語、完全言語の人工的な構築をも指向した。

ウィトゲンシュタインの哲学への復帰

シュリックとの『論考』の出版に続く時期に行われた議論はウィトゲンシュタインの哲学への復帰に大いに貢献した。彼は『論考』の思想と方法の両方に疑問を抱くようになり、1929年にケンブリッジに復帰した。次の二十年間は、彼は集中的に仕事を行いながらも何一つ出版することはなかった。1951年の死の直後、二つ目の著作『哲学探求』が遺言執行者たちによって出版された。この書物も言語の本性によって課される哲学の限界を扱っているとはいえ、『論考』によって叙述された言語の写像の理論とは、決定的に離れたものとなっている。

C・K・O訳論考へのウィトゲンシュタイン自身の評価

論理哲学論考は、まず1921年にドイツの物理学年鑑に掲載された後、翌年1922年、バートランド・ラッセルの序文と共に、チャールズ・ケイ・オグデンを中心に進められた英訳を併記した独英対訳書として、イギリスのキーガン・ポール社から出版された。この英訳についてオグデンはウィトゲンシュタインの直接の関与によって注意深くなされたと主張しており、実際にウィトゲンシュタインの校訂の入った稿本も残っている。しかしウィトゲンシュタインの小伝を書いたG.H.フォン・ウリクトは、その小伝でウィトゲンシュタイン自身から正反対の評価を直接に聞いたと主張し、原文の意味を台無しにする誤訳が多いとして早期の訂正を提言している。ウィトゲンシュタイン自身による具体的な指摘の内容は不明であるが、参考例として、

命題 1のドイツ語原文は、

Die Welt ist alles, was der Fall ist.

である。太字で強調した箇所は、当事者性の強い、現場の状況についての言及であることを強調する表現である。これに対するオグデン訳は、

The world is everything that is the case.

である。ちなみに命題 1.1のオグデン訳は

The world is the totality of facts, not of things.

である。これからすると命題 1でオグデンの使用している everything は適当な訳語とは言い難い。この箇所における邦訳では、中央公論社『世界の名著』訳では「その場に起こること」、大修館書店『ウィトゲンシュタイン全集訳』では「実情」という表現を使ってドイツ語原文の持つ状況性を表現している。これに対してオグデン訳を邦訳すると「世界はそうである もの の全てである」というような意味にしかならないであろう。これは、ウィトゲンシュタインが拒絶したラッセルによる『論考』の論理的原子論解釈の影響であるかも知れないが、ともかくも1961年には同出版社から新しい英訳『論考』が出版されている。

書誌

訳書

解説・研究書

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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