U404 (潜水艦)
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| U-404 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 建造所 | ダンツィヒ造船所 |
| 運用者 |
|
| 艦種 | 潜水艦 |
| 級名 | UボートVIIC型 |
| 艦歴 | |
| 発注 | 1939年9月23日 |
| 起工 | 1940年6月4日[1] |
| 進水 | 1941年6月4日 |
| 就役 | 1941年8月6日[2] |
| 最期 | 1943年7月28日、B-24リベレーター3機(アメリカ陸軍航空軍所属の2機とイギリス空軍機1機)からの爆雷攻撃により沈没[2] |
| 要目 | |
| 基準排水量 | 769t |
| 水中排水量 | 871t |
| 全長 | 67.1m |
| 最大幅 | 6.2m |
| 吃水 | 4.74m |
| 高さ | 9.6m |
| 主機 | ディーゼルエンジン2基 |
| 電源 | 電動モーター |
| 電力 | 750PS |
| 出力 | 2800 - 3200PS |
| 推進 | 2軸 |
| 速力 | 水上17.7ノット、水中7.6ノット |
| 航続距離 | 8500海里(水上10ノット)、80海里(潜航4ノット) |
| 潜航深度 | 230m、圧壊深度250 - 295m |
| 乗員 | 将校4名、士官40~56名 |
| 兵装 |
533mm魚雷発射管(前方4門、後方1門)、魚雷14本 8.8 cm SK C/351門 2cm C/301門 |
U-404は、第二次世界大戦中に建造され、ドイツ海軍で運用されたUボートである。
U-404は1940年6月4日に同市にあるダンツィヒ造船所で建造番号105として起工され、翌年の1941年6月4日に進水し、1941年8月6日にオットー・フォン・ビューロー大尉の指揮下で就役した。
U-404は1941年10月1日に作戦行動に移る前、1941年8月6日に訓練組織である第6潜水隊群で活動を開始した。U-404は7回の戦闘哨戒を行い、第二次世界大戦中に商船14隻と軍艦1隻合計72,570トンを撃沈した。U-404は13つのウルフパックに参加し、ヴァイキングのロングボートの船首が司令塔の両側に赤い塗料で描かれた独特の塗装により、簡単に見分けることができた。
数々の功績により、フォン・ビューローは騎士鉄十字章を授与された。
第1、第2哨戒
1942年1月17日から2月1日まで続いた第1哨戒中、U-404は何も撃沈できなかった。U-404はドイツのキール港から出航した。大きな出来事は潜望鏡が空襲で損傷したことだけで、その他には何事もなく16日後にフランスのロリアンに入港した[1]。
1942年2月14日、U-404はロリアンの出港して第2哨戒を開始し、この哨戒ではより多くの戦果を上げ、アメリカ東海岸沖で3隻の船を撃沈した[1]。そのうちの1隻はレミュエル・バロウズで、U-404が撃沈した時には陸地から十分に近くにおり、生存者の二等機関士は「ニュージャージーのビーチリゾートの光のせいで船が壊滅した。そして彼ら(ドイツのUボート)は沿岸に灯火制限が命じられるまで毎日雷撃を続けるだろう」と記録している。この状況はアメリカが参戦してから間もなく、準備ができていないため何度も繰り返された[3]。次の獲物は、メリーランド州ボルチモアからノバスコシア州、ハリファックス経由でイギリスへ向けて航海中のサン・デメトリオである[4]。サン・デメトリオは護衛がない状況で、アルコール4,000トンと航空揮発油7,000トンを積載していた。3月17日、デメトリオはバージニア州チャールズ岬の北西にいる時にU-404の雷撃を受けた[4]。乗組員16名とDEMS砲手が死亡し、乗組員6名が負傷したが、生存者は救命ボート2隻を降ろすことに成功した[4]。2日後、アメリカのタンカーのベータは船長、乗組員26名、DEMS砲手5名を救助し、バージニア州ノーフォークへ移送した[4]。サン・デメトリオの船長はロイズ戦時メダルを授与された[4]。
1942年4月4日、U-404はフランスのブレストに帰還した。
第3、第4哨戒
第2哨戒と同じように、第3哨戒のドラムビート作戦でも戦果を上げ、U-404は1942年6月24日にユーゴスラビア船リュビツァ・マトコヴィッチ、25日にマヌダ(アメリカ)とノルダル(パナマ)、27日にモルダンゲル(ノルウェー)の4隻を撃破した。今回、U-404はサン・ナゼールに帰還した。
1942年8月23日、U-404はサン・ナゼールを出港して4回目の出撃を開始し、海上で52日を過ごし、大西洋中央でV級駆逐艦ヴェテランを含む3隻の船を撃沈してから10月13日に帰還した。
第5、第6哨戒
第5哨戒の事情はこれまでとは違った。1942年12月21日にサン・ナゼールを出港し、U-404は44日間標的を探索しても戦果を上げられず、1943年2月26日に帰還した。
6回目の急襲は成功し、U-404は3隻の船合計17,736総登録トンを撃沈した。
1943年4月25日、ドイツのラジオはU-404が北大西洋で雷撃を行いアメリカ空母レンジャーを撃沈したと誤って放送した[5]。そのような出来事は起こっておらず、レンジャーは戦争を生き延び、1946年にスクラップとして売却された。
第7哨戒と喪失
1943年7月24日、U-404は新しい艦長の指揮下でサン・ナゼールを出港した。4日後、U-404はアメリカ軍2機、イギリス軍1機から成るリベレーター3機からの爆雷攻撃により、乗組員全員と共に北緯45度53分 西経09度25分 / 北緯45.883度 西経9.417度で海の底へ沈んでいった。航空機も無傷ではなく、U-404の正確な対空砲火により3機ともエンジンを失った。
ウルフパック
U-404は13つのウルフパックに参加した。
- シュライ (1942年1月21日~24日)
- ヘヒト (1942年5月8日~11日)
- ファートファインダー (1942年5月23日~27日)
- シュティール (1942年8月29日~9月2日)
- フォアヴァルツ (1942年9月2日~26日)
- リュックス (1942年9月27日~29日)
- レッツテ・リッター (1942年9月29日~10月1日)
- ファルケ (1942年12月28日~1943年1月19日)
- ランツクネヒト (1943年1月19日~28日)
- 名称無し (1943年3月27日~30日)
- アドラー (1943年4月7日~13日)
- マイゼ (1943年4月13日~20日)
- シュペヒト (1943年4月21日~25日)
戦果一覧
| 日付 | 船名 | 国籍 | 総トン数[Note 1] | 結果[6] |
|---|---|---|---|---|
| 1942年3月5日 | コラマー | 5,112 | 沈没 | |
| 1942年3月13日 | トルテン | 1,858 | 沈没 | |
| 1942年3月14日 | レミュエル・バロウズ | 7,610 | 沈没 | |
| 1942年3月17日 | サン・デメトリオ | 8,073 | 沈没 | |
| 1942年5月30日 | アロカ・シッパー | 5,491 | 沈没 | |
| 1942年6月1日 | ウェスト・ノータス | 5,492 | 沈没 | |
| 1942年6月3日 | アンナ | 1,345 | 沈没 | |
| 1942年6月24日 | リュビツァ・マトコヴィッチ | ユーゴスラビア王国 | 3,289 | 沈没 |
| 1942年6月25日 | マヌダ | 4,772 | 沈没 | |
| 1942年6月25日 | ノルダル | 3,845 | 沈没 | |
| 1942年6月27日 | モルダンゲル | 6,827 | 沈没 | |
| 1942年9月11日 | マリット2世 | 7,417 | 損傷 | |
| 1942年9月12日 | ダギルド | 9,272 | 損傷 | |
| 1942年9月26日 | ヴェテラン | 1,120 | 沈没 | |
| 1943年3月29日 | ナガラ | 8,791 | 沈没 | |
| 1943年3月30日 | エンパイア・ボウマン | 7,031 | 沈没 | |
| 1943年4月12日 | ランカストリアン・プリンス | 1,914 | 沈没 |
歴代艦長
- オットー・フォン・ビューロー大尉 (1941年8月6日~1943年7月19日)
- アドルフ・シェーンベルク中尉 (1943年7月20日~28日)