U82 (潜水艦・2代)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| U-82 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 建造所 | ブレーマー・ヴルカーン造船所、ブレーメン・フェーゲザック |
| 運用者 |
|
| 艦種 | 潜水艦 |
| 級名 | UボートVIIC型 |
| 艦歴 | |
| 発注 | 1939年1月25日 |
| 起工 | 1940年3月15日 |
| 進水 | 1941年3月15日 |
| 就役 | 1941年5月14日 |
| 最期 | 1942年2月6日、イギリス軍艦によりアゾレス諸島北東で沈没[1] |
| 要目 | |
| 基準排水量 | 769t |
| 水中排水量 | 871t |
| 全長 | 67.1m(耐圧殻50.5m) |
| 最大幅 | 6.2m(耐圧殻4.7m) |
| 高さ | 9.6m |
| 吃水 | 4.72m |
| 主機 | ディーゼルエンジン2基 |
| 電源 | 電動モーター |
| 出力 | 2800 - 3200PS |
| 電力 | 750PS |
| 推進器 | 2軸 |
| 速力 | 水上17.7ノット、水中7.6ット |
| 航続距離 | 8500海里(水上10ノット)、80海里(潜航4ノット) |
| 潜航深度 | 230m、圧壊深度250 - 295m |
| 乗員 | 44~52名 |
| 兵装 |
533mm魚雷発射管(前方4門、後方1門)、魚雷14またはTMA機雷26 8.8 cm SK C/35 艦載砲 1門 2cmC/30対空火器 |
U-82は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ海軍のVIIC型Uボートである。
1940年5月15日、U-82の竜骨はブレーマー・ヴルカーン造船所で建造番号10として起工された。U-82は1941年3月15日に進水し、5月14日にジークフリート・ロールマン中尉の指揮の下、就役した。U-82は3回の哨戒を行い、商船8隻合計51,819総登録トンと軍艦1隻1,190トンを撃沈し、商船1,999総登録トンに損傷を与えた。
第1哨戒
U-82は1941年5月14日から沈没する1942年2月6日まで第3潜水隊群に所属しており、3回の哨戒を行った。U-82は4つのウルフパックに参加した。
U-82の第1哨戒は7月にキールから移動した後、1941年8月11日にノルウェーのトロンハイムを出港して始まった。U-82はノルウェー海を横断し、アイスランドとフェロー諸島を隔てている隙間を通過し、大西洋に向かった。
1941年9月10日、U-82はエンパイア・ハドソンをグリーンランド北西で撃沈し、11日に続けて4隻の船ブライシーズ、ジプサムクイーン、エンパイア・クロスビル、スカニアを攻撃した。
7月5日、U-82はフランス大西洋岸にあるロリアンにドック入りした。
第2哨戒
U-82は2回目の急襲でさらに2隻の船を撃沈したが、U-82が1941年11月19日にフランスへ戻る時、ラ・パリスに帰還した。
第3哨戒
最後の哨戒で、U-82はアチェルクラウンとライエステンを大西洋の中央で撃沈した。1月末、U-82はアメリカで建造されたタウン級駆逐艦のベルモントをニューファンドランドの南で攻撃し、撃沈した。1942年2月6日、哨戒から帰還中、U-82はアゾレス諸島の北東でOS18船団に遭遇した。攻撃を試みている途中、U-82はイギリスのスループ、ロチェスターとコルベットのタマリスクからの爆雷によって乗組員45名全員と共に沈没した[2][3][4]。
戦果一覧
| 日付 | 船名 | 国籍 | 総トン数[Note 1] | 結果[5] |
|---|---|---|---|---|
| 1941年9月10日 | エンパイア・ハドソン | 7,465 | 沈没 | |
| 1941年9月11日 | ブライシーズ | 7,519 | 沈没 | |
| 1941年9月11日 | エンパイア・クロスビル | 5,463 | 沈没 | |
| 1941年9月11日 | ジプサムクイーン | 3,915 | 沈没 | |
| 1941年9月11日 | スカニア | 1,999 | 損傷 | |
| 1941年10月21日 | トレバービン | 5,281 | 沈没 | |
| 1941年10月21日 | セルビーノ | 4,099 | 沈没 | |
| 1942年1月22日 | アチェルクラウン | 11,999 | 沈没 | |
| 1942年1月23日 | ライエステン | 6,118 | 沈没 | |
| 1942年1月31日 | ベルモント | 1,190 | 沈没 |