あの町この町

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あの町この町」(あのまちこのまち)は、日本の童謡2007年平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。

リリース1924年大正13年)1月[1][2][3]
規格雑誌(『コドモノクニ』)[1][2][3]
録音1924年(大正13年)村山久子(ニッポノホン15038)[4]ほか
概要 「あの町この町」, リリース ...
あの町この町
日本の旗 日本童謡
リリース1924年大正13年)1月[1][2][3]
規格雑誌(『コドモノクニ』)[1][2][3]
録音1924年(大正13年)村山久子(ニッポノホン15038)[4]ほか
ジャンル童謡
作詞・作曲野口雨情中山晋平[1][2][3]
カバー
クラウン少女合唱団、矢野顕子由紀さおり安田祥子ほか多数[注 1]
ミュージックビデオ
あの町この町(童謡) - YouTube(ゆめあるチャンネル)
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「あの町この町」の詩碑(栃木県宇都宮市

歴史

野口雨情作詞、中山晋平作曲による。初出は東京社(現ハースト婦人画報社)が出版した児童雑誌『コドモノクニ1924年大正13年)1月号で[1][2] 、歌詞と曲譜が同時に発表された[3]。この頃は雨情にとって全盛期であり、代表作の1つである[6]

作曲者の中山晋平は、この歌を口ずさみながら逝去したと伝えられている[7]

作詞の野口雨情が1945年没、作曲の中山晋平が1952年没なので著作権の保護期間が満了し、歌詞も楽曲もパブリックドメインとなっている[注 1]

楽曲

発表誌『コドモノクニ』1924年(大正13年)1月号では、テンポ=80とされたが、1925年(大正14年)4月に金の星社から発行された『金の星童譜曲集第九輯』以降、=88に変更された[2][3]

ニ短調民謡風の旋律であるが西洋音階を取り入れた新しい型の楽曲である。

4分の2拍子で、主な旋律は8分音符4つで構成されているが、わらべ歌のようなリズムピョンコ節)で歌われることが多い。中山晋平は「日本の子供と、此のリズムとは、切っても切れない密接な関係」だと主張し、幾つかの楽曲は発表後に拍子を変更したり指定を追加するなどの修正を加えた[8]。本楽曲もその1つであり、1953年昭和28年)出版の『中山晋平童謠名曲集』(全音楽譜出版社)に「はずみをつけて」という指定が追加された[3]



elative c' {
    set Staff.midiInstrument = #"piano"
	key d minor
		ime 2/4
	empo "はずみをつけて" 4 = 88 
    
ew Voice { autoBeamOff 
	d8 d8 d8 c8 d8 f8 g8 f8 g8 a8 c8 e8 d4. r8 bar "|" break
	a8 c8 d8 e8 d4. r8 e8 d8 c8 a8 g8 g8 c8 a8 bar "|" break
	g8 g8 a8 g16 [f16] d4. f8 g8 g8 a8 g16 [f16] d4. r8 bar "|." break
    }
addlyrics { あ の ま ち こ の ま ち ひ が く れ る ひ が く れ る い ま き た こ の み ち か へ りゃ んー せ ー か へ りゃ んー せ} 
}

歌詞

夕暮れが迫るのも気にせずに遊んでいる子供たちに早く帰るよう呼び掛ける歌である[9]。曲の題名であり、歌い出しでもある「あの町この町」は特定の町を想定したものではなく、田舎町の夕暮れと豊かな自然を歌ったものである[6]

歌碑

栃木県宇都宮市野口雨情旧居の近くに、当楽曲の碑がある[10]。野口の妻・つるが当地を離れる際に、思い出の証として記念となるものを残したいと、歌人の蓬田露村に相談したことがきっかけで建立されたもの[11]で、つるの希望によりこの楽曲が刻まれた[12]

録音・利用

脚注

参考文献

関連項目

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