おおくぼ良太
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千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身[1][3]。父は千葉県内の中学校の校長で本人曰く「厳しい家庭に育った」とのこと[4][1]。千葉県敬愛高等学校(現:横芝敬愛高等学校)機械科卒業[1]。ジャニーズのタレントのカッコ良さに憧れ、高校卒業後にダンサーになりたくて芸能界を目指す[4][1]。21歳の時に本場のダンスを習得するためにアメリカへ渡って1年間ウェイターや皿洗いなどのアルバイトをしながらダンスやエンターテインメントの勉強をし、タップダンスの修業を積んで帰国[4][1][2]。
帰国後はダンサーや振り付けの仕事などをしていた[4]一方で、1976年にコントも行うフォークグループ「チャチャーズ」を結成[1][3]。チャチャーズは1980年に解散、その後はソロ活動に移行して司会者業も多く務めていた[3]がヴォードヴィルが忘れられず、コメディアンの方向を目指すようになる[4]。この間萩本欽一に弟子入り志願をしたが断られたことがあった[2]。そして太田プロダクションに所属していたグループ、ギャグメッセンジャーズに弟子入り[4][1]。30歳となった1982年11月にテレビ朝日系放送の演芸番組『ザ・テレビ演芸』内のコーナー『飛び出せ笑いのニュースター』コーナーに出場し、第16代チャンピオンとなる[4][1][2]。そして1983年2月5日、東急目蒲線(現・東急目黒線、東急多摩川線)を擬人化して歌った歌のシングル『目蒲線物語』でレコードデビュー[2]。その後テレビ朝日のクイズ番組『クイズ!!マガジン』にもレギュラー出演していた[1]。
デビュー当時既に結婚しており、妻も地方巡業の歌謡ショーの司会を務めていて、司会業では同業者であった[4]。
1989年に池袋ミュージカル学院を開校。2020年の閉校まで学院長を務めた[5]。2022年には古本恭一監督映画『CODE-D魔女たちの消えた家』にてナオ(演 - まひろ玲希)の父役で出演[5]。