お伽絵解こども

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お伽絵解こども(おとぎえときこども)は、1904年(明治37年)から1911年(明治44年)頃まで刊行されていた日本の雑誌。辻村秋峯久保田小塊が設立した児童美育会から出版され、大阪や東京などの都市部の幼稚園を中心に流通した。誌面全体にわたって多色刷りを採り入れていることから、日本におけるカラー絵雑誌の先駆けとされており、同誌の影響を受けて幼児向けの幼年雑誌の創刊が相次いでいく。

辻村秋峯と久保田小塊が大阪市内に設立した児童美育会を版元とし、1904年(明治37年)4月に創刊された[1][2]。辻村・久保田は大阪朝日新聞の記者でもあったが、児童美育会の活動は両名の自主的な活動であり、大阪朝日新聞社の直接的な関与はなかったとされている[1][2]

創刊号は、四六判で表紙を合わせて16ページの中綴じ製本であり、描画法製販によるジンク平版印刷によって多色刷りを実現している[1][3]。書店販売のほか、都市部の幼稚園に直接販売を行っており、創刊当時は大阪を中心に流通し、創刊翌年の1905年(明治38年)には東京にまで販路を拡げた[3][4]。1907年(明治40年)時点では北海道から沖縄、日本国外のでも流通していたことが確認できる[4]。概ね月刊間隔で刊行されていたが、1910年(明治43年)から隔月間隔となり、1911年(明治44年)に入ると刊行間隔が不定期となり、同年11月以降の刊行が確認できないことから、この頃に休廃刊となったと推測されている[1]

誌面

辻村が挿絵、久保田が文章という役割分担で誌面が作成されている[1][5]。幼稚園に通園する子供の遊びと学びがテーマとなっており、日本各地の幼稚園で行われている遊戯や教えられている唱歌の紹介、玩具的要素のある遊び絵、グリム童話ランドルフ・コールデコットなどの翻訳・翻案作品が掲載されたほか、創刊年が日露戦争の開戦年だったことから兵隊画などを通じて国際時事も取り上げられた[2][6]。また、裏表紙は広告欄となっており、保育用品や子供向け商品の広告が掲載されている[2]

評価

出典

参考文献

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