1888年に『少年園』が創刊して以降、10歳から14歳程度が読者となることを想定した児童雑誌の創刊が相次ぎ、読者対象としての「少年」、雑誌ジャンルとしての「少年雑誌」の概念が形成される。これと並行して、少年より幼い層向けの読み物・雑誌の必要性も認識され始め、1891年に博文館が「幼年」を誌題に冠した『幼年雑誌』を創刊する。『幼年雑誌』は『少年世界』への統合を経て、1900年に『幼年世界』として再度独立する。
1904年2月に日露戦争が始まると、戦況報道のための写真製版・三原色を利用した多色刷りが日本国内に普及し、これらの印刷技術は児童雑誌の誌面にも反映されていく。同年4月には大阪の児童美育会が全ページ多色刷りで絵を中心とした『お伽絵解こども』を創刊する。同誌は幼稚園に通う年齢層の児童にまで受け入れられ、日本における近代的な絵本の源流ともなった。1906年には博文館が『幼年画報』、1909年には実業之日本社が『幼年の友』を創刊し、1900年代末には一つの雑誌ジャンルを形成するまでに至る。
1910年代に入ると、童画・童話の概念が確立するとともに、大衆的児童文学と芸術的児童文学がそれぞれ別の路線を歩み始める。前者は1914年創刊の『少年倶楽部』のように娯楽性、後者は1918年創刊の『赤い鳥』のように芸術性を高めていき、幼年雑誌においても、『少年倶楽部』の流れから『幼年倶楽部』、『赤い鳥』の流れから『コドモノクニ』が生まれるなど、掲載作品・誌面構成の違いが広がっていく。同時期には、保育・生活教育の観点からの雑誌創刊も始まり、『婦人之友』の系列誌として1914年に『子供之友』が創刊する。1920年代から1930年代初めには、年齢別の細分化も進み、1922年から1933年にかけて小学館が『小学六年生』から『幼稚園』までの学年別学習雑誌のラインナップを完成させる。また、1927年にはフレーベル館が月刊保育絵本の始まりとされる『キンダーブック』を創刊するなど幼稚園向け直販誌の流れも生まれていく。
1930年代半ばから戦時統制によって雑誌の統廃合が行われるが、1945年の終戦以降に逐次復刊する。戦後には、『黄金バット』の絵物語を掲載した『冒険活劇文庫』など、当時流行した街頭紙芝居の作品・作家を取り込みながら、新たな雑誌も創刊されていく。1950年代に入ると、第一次ベビーブーム世代が幼稚園・小学校に入学し、幼年雑誌は黄金期を迎える。1954年に講談社が『なかよし』、1955年に集英社が『りぼん』を創刊し、読者を取り込むために付録の数や種類が競われていく。
1963年に『鉄腕アトム』のアニメ放送が始まると、テレビ番組の情報を取り扱う雑誌が増え、『帰ってきたウルトラマン』の独占掲載権を獲得した小学館の学年誌が売上を大きく伸ばす。1971年には、講談社が『仮面ライダー』で雑誌連載とテレビ番組放送を同時期に開始するなど、メディアミックスの手法も進化していく。1970年代には、『テレビマガジン』『てれびくん』など、テレビ番組と玩具に関する情報を中心に据えた雑誌が創刊される。また、児童の遊びと玩具の多様化が進む中、1977年に『月刊コロコロコミック』が創刊し、児童向けホビー情報誌というジャンルが生まれていく。1983年にファミリーコンピュータが発売されると、家庭用ゲーム機・ゲーム作品情報の位置づけも高まる。
1990年代に入ると、『ポケットモンスター』の人気を背景に『月刊コロコロコミック』が大きく部数を伸ばし、男児向け雑誌の代表格と扱われるようになる。また、『月刊コロコロコミック』のノウハウを取り入れて付録の強化や『おはスタ』とのタイアップを進めた『ちゃお』も女児向けシェアを拡大する。加えて、女児向け雑誌では、ファッション情報誌との接続が強まっていき、ファンシーグッズの紹介や占いコーナーが主だった『ピチレモン』が1995年からファッション情報メインの雑誌へと転換していく。1997年には『ニコラ』が創刊され、女児の憧れの対象としての読者モデルという構図が完成する。一方で、1990年代後半からは雑誌を購読しない層の比率(雑誌不読率)も上昇していく。
2000年代に入ると小学生世代においてもインターネット利用が珍しくなくなり、娯楽・情報源としての雑誌の位置づけは相対的に低下していく。購読者数の減少とともに雑誌の統廃合も進み、2009年に学研の『科学と学習』の休刊が決まり、小学館の学年誌も2017年以降は『小学一年生』のみとなる。