くまもと阿蘇カントリークラブ

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開業 1952年昭和27年)9月23日
運営 メンバーシップコース
くまもと阿蘇カントリークラブ
湯の谷コース
Kumamoto Aso Country Club
くまもと阿蘇カントリークラブ
くまもと阿蘇カントリークラブ湯の谷コース
の空中写真。2017年5月15日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽5992-2
座標: 北緯32度53分29.66秒 東経131度1分35.93秒 / 北緯32.8915722度 東経131.0266472度 / 32.8915722; 131.0266472
概要
開業 1952年昭和27年)9月23日
運営 メンバーシップコース
設計 保田 与天井上 誠一
運営者 株式会社くまもとゴルフ倶楽部
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4330 1 4415
2 4335 2 3213
3 3197 3 4365
4 3110 4 4350
5 4340 5 5555
6 4385 6 3200
7 4300 7 4320
8 3192 8 4280
9 5510 9 5470
342699 363168

その他
公式サイト くまもと阿蘇カントリークラブ
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くまもと阿蘇カントリークラブ(くまもとあそカントリークラブ)は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村にあるゴルフ場である。

1930年昭和5年)、九州にはゴルフ場が雲仙福岡長崎別府に開場していたが、熊本にはなく雲仙や福岡は遠すぎるとの声が高まっていた[1]。阿蘇の新たなゴルフ場の建設用地は、阿蘇の黒石原の元農場跡を借地し、名誉会長は細川護立、コース設計を赤星四郎に依頼した[1]1931年(昭和6年)7月、「黒石原ゴルフ倶楽部」9ホールのコースが開場された[1]

1937年(昭和12年)、日中戦争が勃発し、黒石原の草原は陸軍の演習場になった[1]1944年(昭和19年)、逓信省飛行場になり、黒石原ゴルフ倶楽部は解散になった[1]1951年(昭和26年)、熊本県が阿蘇観光開発目的にゴルフ場を計画したが実現しなかった、ゴルフ場用地は現在のくまもと阿蘇カントリークラブと同一の「湯の谷」場所だった[1]

当時、「湯の谷」には、米軍のゴルフコースがあり、隣接する放牧場とを一緒にしたコース造りを目指し、1951年(昭和26年)10月、「熊本ゴルフ倶楽部」を結成した[1]。9ホールを計画、コース設計を保田与天に依頼、野芝だけのコースだった[1]1952年(昭和27年)9月23日、9ホールを増設、コース設計を井上誠一に依頼し、18ホール規模のゴルフ場が完成、開場された[1]

2009年平成21年)2月、 株式会社熊本カンツリー倶楽部は、「熊本ゴルフ倶楽部」を、競争激化による入場者数と売上高の低迷により、「株式会社くまもとゴルフ倶楽部」への譲渡を決定した[2]。同年4月1日、ゴルフ場名を「くまもと阿蘇カントリークラブ・湯の谷コース」に名称変更した[2]

所在地

〒869-1404 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽町5992-2

コース情報

  • 開場日 - 1952年9月23日
  • 設計者 - 井上 誠一
  • 面積 - 800,000m2(約24.2万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー70、5,867ヤード
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 2グリーン、ベント
  • ハザード - バンカーの52、池が絡むホール5
  • プレースタイル - 全組セルフプレー
  • 練習場 - 10打席100ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日(完全セルフ営業)[3]

クラブ情報

  • ハウス面積 - 1,679m2(約507.8坪)
  • ハウス設計 - 入江三宅設計事務所
  • ハウス施工 - 増永組[3]

ギャラリー

交通アクセス

1976年9月1日撮影の空中写真。東側(画像右)方向に阿蘇山がある。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
熊本地震 (2016年)本震発生当日の2016年4月16日撮影の空中写真。コース東側(画像右)で土石流が発生し、道路を横切り寸断し被害がコース内に及んでいる。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
熊本地震翌月下旬の2016年5月31日撮影の空中写真。ほとんど復旧していない。翌年2017年5月撮影の画像(右上のテンプレート内)でも寸断された道路は仮設で復旧しているが、コース内の土石流は残っている。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

エピソード

  • 設計した井上誠一は、グリーン高麗芝に張り替え、自然の地形を削ろうとしない手法は今も「馬の背」のあだ名を持つ3番ホールにような、古典性の強い難ホールを残している[5]
  • 3番ホール、578ヤード、パー5は、「馬の背」の愛称がある名物ホールで、スライスを打つと球は急斜面を転げ落ちてしまう、飛距離と方向性が求めっれる難ホールである[5]
  • 昔は、阿蘇赤牛で名高い、放牧地に囲まれたコースには牛が侵入し、牛糞のローカルルールがあったという[5]

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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