ながい窖
手塚治虫の漫画作品
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概要
初出は『サンデー毎日』1970年11月6日増刊号[1]。在日朝鮮人の出自を持ち、戦後に日本へ帰化した会社役員の男が差別を恐れてその出自をひた隠しにすることで家族の間に起きた悲劇を題材としている[5]。
手塚は生前、在日朝鮮人の漫画家で4コマ漫画を中心に活動した全哲(チョン チョル/전 철、1934年 - 2005年)と親交を持ち[6]、本作の執筆から4年前の1966年4月16日付『朝鮮新報』では「私は広く呼びかけたい 在日朝鮮人の民族教育を日本人の手で守ろう」と題する寄稿を行っている[3][7]。
第二次世界大戦中における朝鮮人徴用や戦後復興を経た高度成長期の在日を取り巻く社会の一面を鋭く描写した作品として当事者からも高く評価されているが[2][8]、単行本では1972年に『空気の底』下巻へ収録されたのを最後に長らく再録が見送られ[3][注 2]、手塚治虫漫画全集(講談社)にも未収録となったため[9]、事実上の封印作品的な扱いを受けて来た経緯がある[3]。
手塚プロダクションの公式サイト上でも表題と初出誌の情報は掲載されていたが、作品単体の解説ページは長らく設けられていなかった[1]。2026年になり、法政大学出版局から漫画史や朝鮮半島近代史の専門家6人による解説を併録した復刻版の単行本が刊行された[4][9]。
あらすじ
長浜軽金属専務の森山尚平は部下からの信望も厚く、次期社長との呼び声も高い人物であった。その森山は日本の統治下に在った朝鮮半島に出自を持つが既に日本国籍を取得しており、差別を恐れて周囲には帰化の事実をひた隠しにしている。朝鮮出身であることを悟られまいとする森山の防衛本能は焼肉へ誘われることを嫌悪したり、特別永住者を会社の面接で落とすほどであった。
ある日、森山は戦中に日本軍からの徴用により岐阜県の山中で地下壕を掘る強制労働に駆り出されて以来の知己である同胞の金文鎮から「妻の親戚を匿って欲しい」と頼まれる。その青年──除英進[注 3]は生き別れの母と再会するため日本への密入国を試みては強制送還を繰り返す身であったが、森山家の居候となってからは娘の亜沙子と恋仲になり、流暢に朝鮮語を話し妻子に慕われるその姿に森山はいら立ちを募らせる。
やがて亜沙子の協力で英進の母と思われる高齢の女性が勤務している託児所がわかり、2人で訪ねるがそこには刑事が待ち構えていた。英進は亜沙子を連れてその場から逃亡するが、2人ともトラックに轢かれて事故死してしまう。検死を終えた娘の遺体と再会した森山は検視官から「あなたのお嬢さんですか」と聞かれるが、自身が帰化人であることを知られたくないばかりに「友人の娘さんです」と嘘を口にする。娘を亡くしてもなお出自をひた隠しにし続ける父の嘘に激昂した息子の久は「ねえさんはきっと泣いてますよ。実の親なのに娘と呼んでくれなかったのはなぜだって」と父を叱責した。この出来事を経て久は朝鮮民族としてのアイデンティティに目覚め、朝鮮学校へ転校するが不良との喧嘩で瀕死の重傷を負ってしまう。
久が搬送された病院からの電話に対しても「私の息子が朝鮮学校へいってるわけがないじゃありませんか」と亜沙子の時と同じように嘘を口にした森山であったが、息子に重傷を負わせた不良たちの学校へ出向いて校長に直談判を求める。しかし校長は差別意識を剥き出しにした態度で突き放し、会社に森山の出自を暴露すると脅しをかけて来た。それに対して、森山は「わしは朝鮮人だ!それがなぜわるい!!」と初めてその出自を口にする。
登場人物
- 森山 尚平(もりやま しょうへい)
- 主人公。日本統治下の朝鮮半島出身で民族名は「趙」(チョ、조)姓だが、人前では朝鮮語をほとんど話さない。戦中は軍の徴用により岐阜県土岐郡明世村(現在の瑞浪市)戸狩の山中で地下壕の掘削に従事させられ[3]、その時の体験に強いトラウマを抱き続けている。戦後に帰化して日本国籍を取得し、町工場の長浜軽金属へ就職した後は同社を大企業に成長させて専務に昇り詰めているが、差別を恐れて家族以外には自身の出自をひた隠しにして来た。
- 金 文鎮[注 4]
- 戦中に地下壕の掘削で、森山と同じ釜の飯を食う仲であった同胞。戦後はトルコ風呂の経営者となり、羽振りが良い生活をしている。街中で森山とたまたま再会し、妻の親戚で密入国者の英進を匿ってほしいと要請した。
- 森山 亜沙子(もりやま あさこ)
- 森山の娘。家に匿われた英進と恋仲になり、母の勤め先探しに協力した。
- 森山 久(もりやま ひさし)
- 森山の息子。事故死した姉の遺体を前に「自分の娘ではない」と嘘をついた父に失望し「朝鮮民族と日本人とはある程度理解しあってる──すくなくとも日本人はぼくらに遠慮があるはずだ」と民族意識に目覚め、朝鮮学校へ転校した。
単行本
最初の単行本収録は朝日ソノラマが刊行した短編集『空気の底』下巻であった[3][4]。
2026年に原稿をスキャンした復刻版が法政大学出版局から刊行され、54年ぶりの単行本化となった。本編50ページに加えて、漫画史や朝鮮半島近代史の専門家ら6人の解説を計80ページ併録している[9]。編集を担当した法政大学出版局の赤羽健は、2023年頃から映画や文学、漫画作品での社会的少数者の描写について調べていた際に本作を知り「在日朝鮮人を主人公に据え、在日をめぐる差別の実態と当事者の苦悩をここまで真正面から描いた漫画は他にないのでは」と衝撃を受けたことが長年にわたり封印作品の扱いを受けて来た本作の復刊を企画した動機であると朝日新聞の取材に回答している[4]。
- 手塚治虫『ながい窖(あな)』、法政大学出版局、2026年6月2日発売 ISBN 978-4-588-42024-5
参考文献
- 沈熙燦「手塚治虫の封印された漫画『ながい窖(あな)』を読む」(図書出版クレイン『抗路』11号、2023年) ISBN 978-4-906681-65-5