ながれ星
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| 「流れ星」 | |||||||
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| リリース | 1924年(大正13年)7月[1][2] | ||||||
| 規格 | 雑誌(『婦女界』)[1][2] | ||||||
| 録音 | 1930年(昭和5年)頃 東八重子(蝶印レコード/尼崎市特許レコード製作所)[3] | ||||||
| ジャンル | 童謡 | ||||||
| 作詞者 | 1番:管野都世子(本名:管野とも→佐々木とも)[4] 2・3番:佐々木仁[3] | ||||||
| 作曲者 | 中山晋平[1][2][5] | ||||||
| カバー | |||||||
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堀ちえみ、タンポポ児童合唱団、大石昌美、[注 1] | |||||||
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「流れ星」(「ながれ星」)(ながれぼし)は、日本の童謡。1924年(大正13年)に雑誌『婦女界』7月号で発表された[1][2]。作曲は中山晋平[1][2][5]。作詞者は発表誌に示されず60年以上不詳であったが、1987年(昭和62年)に管野都世子と判明した[4]。
昭和初期の教科書に載り、一時期は全国的に歌われた。戦後は半ば忘れられていたが、1987年(昭和62年)にNHKドラマ「ばら色の人生」で使われたことにより再注目され、作詞者解明に至った[4]。
なお、作詞の管野都世子は1949年没[4]、作曲の中山晋平が1952年没なので著作権の保護期間が満了し、1番の歌詞および楽曲はパブリックドメインとなっている[注 1]。ただし、管野都世子の息子、佐々木仁が後年補作した2番、3番の歌詞[1][3]については著作権の保護期間中である。
童謡「流れ星」は、1924年(大正13年)に雑誌『婦女界』7月号で、タイトル「ながれ星」、「婦女界当選童謡・中山晋平曲」として発表された[1][2]。その後、1928年(昭和3年)12月発行の『新撰小学唱歌曲集』(京文社)[5]など、昭和初期の小学校の教科書に掲載され、ロマンあふれる唱歌として全国的に歌われた[4]。
作詞者は発表誌で示されなかった[1][2]。昭和5年頃に東八重子の歌唱で録音され、蝶印レコードのレーベルで発売されたレコード[3]や、一部の教科書では野口雨情とされたが、後に間違いであったことが判明した[2]。1980年(昭和55年)に中山晋平の養子である中山卯郎がまとめた『中山晋平作曲目録』では作詞者不詳とされた[5]。
1984年(昭和59年)9月、毎日新聞「若い日の私」欄で神奈川県知事長洲一二が「流れ星」の作者について情報提供を呼びかけたところ、2週間で100件近い反響があったものの作詞者解明には至らなかった[2]。
1987年(昭和62年)4~7月に放映されたNHK総合の水曜ドラマ「ばら色の人生」の中で、鷲尾いさ子演じる主人公さちこが毎回「流れ星」を歌った。これが話題となり、作詞者の家族が名乗り出て、65年ぶりに作詞者が明らかになった。この経緯は同年7月12日『朝日新聞』日曜版、朝刊の社会面で詳しく報じられた[4]。
作詞者は宮城県仙台市出身の管野都世子(本名は管野とも。結婚後は姓が変わり佐々木とも)。少女時代から詩作が趣味で、結婚後も家事の傍ら創作を続け、3人の子を育て上げて1949年(昭和24年)に53歳で病没した。「流れ星」は独身であった24歳頃の作品で、1922年(大正11年)に雑誌『婦女界』4月号で西条八十選の懸賞童謡として1席を獲得したものであった[4]。
歌詞
楽曲
楽譜

利用
所収
- 書籍
- 『美しい情感を盛るうたとおどり集』渡辺商店出版部、1925/11
- 『新撰小学唱歌曲集』京文社、1928/12
- 『新らしく選びたる小学唱歌300曲集』京文社、1933/11
- 『みどり愛唱歌集 明日へのこす心の歌』第2集 塚田佳男・酒井沃子監修、緑・芸術祭企画運営委員会/横浜市緑区役所、1993/05
- 『日本叙情歌全集3』長田暁二、ドレミ楽譜出版社、1998/12
他
- CD
- キングレコード『河村順子・童謡の歩み』河村順子、1987/11
- EMIミュージック・ジャパン『おかあさんっていいな』堀ちえみ、1992/05
- キングレコード『思い出のアルバム(親子三代うたいましょう) 』タンポポ児童合唱団、1994/08
- 日本コロムビア『大石昌美心のハーモニカ(10) 』大石昌美、1999/06
- 配信
- キングレコード『保育まるごと夏ミュージック~梅雨/歯と口の健康週間/時計の日/七夕/音頭』タンポポ児童合唱団、2023/07