アイク・ターナー
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| アイク・ターナー | |
|---|---|
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アイク・ターナー(1997) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Izear Luster Turner, Jr. |
| 生誕 |
1931年11月5日 アメリカ合衆国ミシシッピ州クラークスデイル |
| 死没 |
2007年12月12日(76歳没) アメリカ合衆国カリフォルニア州サンマーコス |
| ジャンル |
R&B ブルース ロックンロール |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 |
ギター ピアノ |
| 活動期間 | 1951年 - 2007年 |
| レーベル | |
| 共同作業者 | ティナ・ターナー |
アイク・ターナー(Ike Turner、1931年11月5日 - 2007年12月12日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン。本名は、アイズィアー・ラスター・ターナー・ジュニア。ギタリスト、ピアニスト、バンドリーダー、シンガー、ソングライター、プロデューサー、アレンジャーとして幅広く活躍し、草創期のロックに大きな影響を与えた。ギタリストとしては、トレモロ・アームを効かせた鋭いトーンのプレイが彼のトレードマークとなっている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第61位、2011年の改訂版では削除された。
ミシシッピ州クラークスデイルに生まれる。10代の頃、地元ラジオ局WROXでDJをするようになり、ここでロバート・ナイトホークらブルースマンと出会う幸運に恵まれた。その過程で、パイントップ・パーキンズに出会い、彼から直接ピアノを師事。1940年代後半には、自己のバンド、キングズ・オブ・リズムを結成し活動するようになった。
1951年3月、アイクとキングズ・オヴ・リズムはジャッキー・ブレンストンを歌手に立て、メンフィスのサン・スタジオで、「ロケット88」("Rocket 88")のレコーディングを行う。そのマスターは、シカゴのチェス・レコードからジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの名義でリリースされ、R&Bチャート1位の大ヒットを記録した。
また、アイクはレコード会社のスカウトマンとしても活躍。自らの一ファンであるアンナ・メイ・ブロック (後に芸名ティナ・ターナーを名乗るようになった) が彼のバンドで歌いたいと言い始めた時、初めは断ったが、結局は彼女の懇願に負けて歌わせた。二人は1960年に結婚し、アイク&ティナ・ターナー・レヴュー名義で活動するようになった。
アイク&ティナ・ターナーは、1960年代から70年代にかけて数々のヒットを飛ばす人気デュオとして頭角を現した。1966年から1969年の間には、ローリング・ストーンズのアメリカ公演の前座も務めている。1970年12月には初来日も果たし、東京・赤坂のライブハウス、ムゲンで計12回の公演を行った。[1]
しかしながら、1978年に破婚を迎えたことにより、デュオも解消する。ティナは、1986年出版の自伝「I, Tina」 (1993年に『TINA ティナ』として映画化) の中で、アイクの家庭内暴力を暴露した。これに対して、彼は当初それを否定していたものの、2001年の自伝「Taking Back My Name」の中で事実上自らの暴力を認めている。
彼はかつて重度のコカイン常用者だったこともあり、1980年代初頭には、薬物犯罪者としてカリフォルニア州立刑務所で服役した。
2003年には、日比谷野音等で催されたジャパン・ブルース・カーニバル出演のために来日したにもかかわらず、過去のコカイン不法所持による逮捕歴が問題とされ、入国許可が下りずに帰国した[2]。同年の来日公演は、アイク抜きのキングス・オブ・リズムがステージに立ち、切り抜けている。
アイク・ターナーは、1991年、アイク&ティナ・ターナー名義でロックの殿堂入りを果たしている。
2007年12月12日、アイクはカリフォルニア州サンディエゴ郊外サンマーコスの自宅で、76歳で亡くなった。死因は公表されていない[3]。