アイスホッケーソビエト連邦代表

ソビエト連邦のアイスホッケー男子ナショナルチーム From Wikipedia, the free encyclopedia

アイスホッケーソビエト連邦代表(あいすほっけーだんしそびえとれんぽうだいひょう、英語: Soviet Union men's national ice hockey team, ロシア語: Сборная СССР по хоккею с шайбой)は、オリンピックを始めとする国際大会に出場するかつて存在したソ連アイスホッケー男子ナショナルチーム。

愛称 The Red Machine (ロシア語: Красная машина)
協会 ソビエト・アイスホッケー連盟
最多出場 Alexander Maltsev (321)
最多得点 Alexander Maltsev (213
概要 愛称, 協会 ...
アイスホッケーソビエト連邦代表
愛称 The Red Machine (ロシア語: Красная машина)
協会 ソビエト・アイスホッケー連盟
最多出場 Alexander Maltsev (321)
最多得点 Alexander Maltsev (213
最多ポイント Sergei Makarov (248)
IIHFコード URS
初出場
ソビエト連邦  23–2  東ドイツ
(1951年4月22日、東ドイツ東ベルリン)
最大差勝利試合
ソビエト連邦  28–2  イタリア
(1967年12月26日、アメリカ合衆国コロラドスプリングス)
最大差敗戦試合

 カナダ 8 - 2 ソビエト連邦 
(1968年1月9日、カナダオタワ)

 チェコスロバキア 9 - 3 ソビエト連邦 
(1975年3月21日、チェコスロバキアプラハ
世界選手権
出場回数 32 (1954年初出場)
最高成績 優勝: 22 – 1954, 1956, 1963, 1964, 1965, 1966, 1967, 1968, 1969, 1970, 1971, 1973, 1974, 1975, 1978, 1979, 1981, 1982, 1983, 1986, 1989, 1990
カナダカップ
出場回数 5 (1976初出場)
最高成績 1位: 1981
オリンピック
出場回数 9 (1956年初出場)
獲得メダル : 7 - 1956, 1964, 1968, 1972, 1976, 1984, 1988
: 1 - 1980
: 1 - 1960
通算勝敗数 (W–L–T)
738–110–65
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愛称はレッドマシーン。アメリカの報道により名づけられたこの愛称は、1980年冬季オリンピックアメリカ代表チームキャプテンであったマイク・エルジオーニが「ソ連は決して笑わなかった。得点しても笑わなかった。彼らはまるでロボットのようだった。」と語ったことから来ている[1]

歴史

1946年に最初のソビエト選手権30試合が開催され、ファンはこの新しいゲームを気に入り、バンディが伝統的な氷上球技であったソ連に本格的なアイスホッケーの導入がもたらされた。

ソ連のスポーツ指導部は1928年サンモリッツオリンピックのアイスホッケー競技オブザーバーを派遣することを決定し、オリンピック後にチェコスロバキアのチームがモスクワでアイスホッケーのエキシビションゲームを行った。国際アイスホッケー連盟には1952年に加盟し、ソ連代表チームは1953年アイスホッケー世界選手権への参加資格を得たが、主力選手の欠場が理由と考えらる要因で不参加となった。

しかし競技導入からわずか8年後の翌1954年、ソ連代表チームは世界選手権初出場でカナダ代表に7-2の劇的な勝利を収め、そして1956年、7連勝無敗で劇的なオリンピック初出場初優勝を遂げた[2]

ソ連代表チームはビクトル・チーホノフの指導のもと国際的な地位を確立し、黄金時代を迎えた。チーホノフはその厳しい軍事的な訓練方法で強く批判されたが、それは国際大会での圧倒的な成績に結び付いた。前回に続いて1964年のインスブルック冬季オリンピック大会でも7戦全勝優勝、1968年のグルノーブル大会ではチェコスロバキアに敗れたが、1963年から続いたソ連のオリンピックおよび世界選手権連勝記録は39となり、1936年から1948年にかけてカナダが樹立した記録に並んだ。カナダ不在の1972年札幌大会、カナダとスウェーデン不在の1976年インスブルック大会と勝利し、ソ連代表はオリンピック4連覇を達成した初(2026年現在唯一)のチームとなった[3]

カナダとの熾烈なライバル関係は、1972年9月に行われたNHL選手で構成されたチームカナダとの8戦シリーズである歴史的なサミットシリーズ英語: Summit Seriesで最高潮に達する。カナダが4勝3敗1分の勝利を収めたが、ソ連代表の真の実力が世界に知れ渡った大会であった。ゴールテンダーウラディスラフ・トレチャクは世界的なスターの評価を得た[4]

1981年のカナダカップでベテランのトレチャク、カナダカップデビューのヴャチェスラフ・フェティソフに加え、新人のアレクセイ・カサトノフ、イーゴル・ラリオノフ、ウラジーミル・クルトフを擁するチーム再建中のソ連代表は、決勝で大会ポイント王のウェイン・グレツキーを無力化させカナダ代表を8-1で圧倒し、前年のレークプラシッドオリンピック準優勝の雪辱を果たした[5]

当時全盛期であったラリオノフ、クルトフ、フェティソフ、カサトノフにセルゲイ・マカロフが加わり、トレチャク最後の国際試合となった1984年サラエボ冬季オリンピック大会のチームは、7勝無敗で相手を48対5の得失点差で圧倒し、メダルラウンドではわずか1失点に抑えた。ヒーローはモスクワ中央赤軍 (CSKA) 出身の選手ではなく、7試合で10ゴールを挙げたレニングラード出身のウイング、ニコライ・ドロズデツキーであった。プロ選手の参加が解禁された1988年カルガリー大会では、カナダをメダルラウンドで5-0で完封し、スウェーデンを7-1で圧倒してソ連代表として最後のオリンピック金メダルを獲得した[6]。世界選手権では1990年までに記録的な22回の優勝を達成した[7]

ソ連崩壊後に行われた1992年アルベールビル大会では、様々な競技の選手が旧ソ連共和国出身だったことから「EUN」(統一チーム、: Équipe Unifiée) と名付けられた冬季オリンピック代表団として参加し、アイスホッケーチームは旧ソ連諸国の新しいアイスホッケー連盟が設立されるまでの数ヶ月間存在したCIS(独立国家共同体)の代表チームとして参加した。その後CISチームは役目を終え、ソ連代表は後継のロシア代表に引き継がれた。

主な成績

冬季オリンピック

  • 金メダル:7
    • 1956年、1964年、1968年、1972年、1976年、1984年、1988年(1992年大会はCISチームとして獲得)
  • 銀メダル:1980年
  • 銅メダル:1960年
さらに見る 開催年, 大会名 ...
開催年 大会名 順位
1956年 コルティナダンペッツォオリンピック 金メダル
1960年 スコーバレーオリンピック 銅メダル
1964年 インスブルックオリンピック 金メダル
1968年 グルノーブルオリンピック 金メダル
1972年 札幌オリンピック 金メダル
1976年 インスブルックオリンピック 金メダル
1980年 レークプラシッドオリンピック 銀メダル
1984年 サラエボオリンピック 金メダル
1988年 カルガリーオリンピック 金メダル
1992年 アルベールビルオリンピック CISとして金
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世界選手権など

1954年世界選手権での対カナダ戦
  • アイスホッケー世界選手権(2026年現在)
    • 金メダル22回(1954, 1956, 1963, 1964, 1965, 1966, 1967, 1968, 1969, 1970, 1971, 1973, 1974, 1975, 1978, 1979.1981,1982, 1983, 1986, 1989, 1990年)
    • 銀メダル7回(1955, 1957, 1958, 1959, 1972, 1976, 1987年)
    • 銅メダル5回(1960, 1961, 1977, 1985, 1991年)
  • カナダカップ 優勝(1981年)

脚注

関連項目

外部参考リンク

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