アウグスト・リヴァルタ
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イタリア北西部のアレッサンドリアで、サルデーニャ王国軍の将校の息子に生まれた。生後まもなく家族とジェノヴァに移り、1851年からはジェノヴァの美術学校(Accademia Ligustica di Belle Arti)で彫刻家のサント・ヴァルニ(Santo Varni: 1807-1885)に学んだ[2]。1857年に美術学校で選ばれ、1858年からフィレンツェ美術アカデミーでアリストデモ・コストリ(Aristodemo Costoli: 1803-1871)に学んだ。1859年に第二次イタリア独立戦争が起こるとジェノヴァに戻り、兄弟と共にジェノヴァのカラビニエリ(警察軍)に加わった。ヴィッラフランカの休戦の後、戦傷から回復したリヴァルタはフィレンツェに戻り、新古典主義から写実主義への移行期の彫刻家ジョヴァンニ・デュプレ(Giovanni Dupré: 1817-1882)の工房で修行を続けた。
1867年にフィレンツェの美術アカデミーの会員に選ばれ、1874年までアカデミーの絵画と彫刻の教授を務めた。彼の教えた彫刻家にはアントニオ・ガレッラ(Antonio Garella)や、ジュゼッペ・グラツィオージ(Giuseppe Graziosi)、ラファエロ・ロマネッリ、ピエトロ・ゲッリ(Pietro Guerri)、エルコーレ・ドレイがいる。1887年12月にフィレンツェでリヴォルノ出身の女性と結婚した。
彫刻家デュプレのスタイルから出発し、後にマッキア派や画家、彫刻家のアドリアーノ・チェチオーニの影響を受けて写実主義的なスタイルのモニュメントなどを制作し、1863年のトリノ美術展や1902年のトリノ・クアドレンナーレ、1903年のヴェネツィア・ビエンナーレ、1915年のサンフランシスコ万国博覧会にも出展した。
1925年にフィレンツェで亡くなった。
