アグネス・ヴェッチ

イギリスの看護師 (1842–1942) From Wikipedia, the free encyclopedia

アグネス・ヴェッチ(Agnes Vetch、1842年[1][2] - 1942年[1][2])は、明治時代に来日したイギリス看護婦である。

出典:『植村正久と其の時代 第5巻』。日本看護歴史学会ウェブサイトに同じ写真(「桜井女学校の看護婦生徒とアグネス・ヴェッチ」)が掲載されており、前列真ん中の人物がアグネス・ヴェッチであると考えられる。また、そのキャプションによれば、撮影時期は1888年10月26日の1期生卒業当時と推定される。
なお、前列右より二人目は大関和(出典の753頁より)。

経歴・人物

スコットランドエディンバラの生まれ[3]1874年に旧エディンバラ王立救貧院病院看護学校[注釈 1]にて一期生として入学し[3]、看護を学ぶ[5]。卒業翌月にエディンバラ王立救貧院病院で看護婦を始め、その後、セント・メアリー病院や新エディンバラ王立救貧院病院でも勤務を行った[2]1881年に病院を自分の希望で退職し[6]、同年に兄が宣教医をしていた清朝に向かった[2]

1887年明治20年)[2]9月、日本に招かれて訪れ、翌月、帝国大学(現在の東京大学)医科大学第一病院の看護教師として着任した[2][5]。1年間、同病院で看護教育に当たる中、当時滞日していた宣教師メアリー・トゥルーが創設した桜井女学校からの大関和鈴木雅らの依託生を同病院の看護婦や副看護婦と合わせて指導し[7]、看護方法の講義のほか西洋式の看病術を病院で実地に教授して、日本の看護の近代化に大きく貢献した。1888年(明治21年)11月に任期満了となり離日した[5]。ヴェッチの教育のもと、桜井女学校からの依託生6人を含む28人が看護婦として養成され、うち1人が看護教師として養成された[8]

1942年に故郷のエディンバラで死去[3][2]。100歳没。

脚注

参考文献

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