アパトゥ (フランス領ギアナ)
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歴史
アパトゥの町は、1882年にムテンデ (Moutendé) という名で創設された[2]。その後、この町はアルクの族長であったアパトゥにちなんで改名した[3]。アパトゥは、19世紀後半に、探検家ジュール・クレヴォーのガイドを務めた。1885年9月7日、ジュール・ブルネッティ (Jules Brunetti) は、当地にカトリックの宣教所を設けた[4]。1891年、アパトゥは境界線問題を抱えていたフランスとオランダ領ギアナ(スリナム)の仲介をし、アルクたちをフランスと同盟させた[3]。彼はまた、フランス側についたすべての部族を統率した[2]。
1969年まで、アパトゥはイニニの領域の一部であったが、マルーンの各部族は明確な境界線設定はないまま部族的な自治と自給自足が容認されていた[5]。コミューンの新設によって、統治機構の整備やフランチャイズ化がおこなわれた。最も重要だったのは、これによって、より大きな集落への人口の集中が起こり、小さな集落がほとんど放棄されるに等しい状況が生じたことであった[5]。
1976年11月12日、アパトゥのコミューンが正式に創設されて、グラン=サンティ=パパイシュトン (Grand-Santi-Papaichton) のコミューンから切り離され、残された部分はグラン=サンティと改称された[2]。
人口
| 人口推移 | ||
|---|---|---|
| 年 | 人口 | ±% p.a. |
| 1967 | 318 | — |
| 1974 | 453 | +5.18% |
| 1982 | 618 | +3.96% |
| 1990 | 2,451 | +18.79% |
| 1999 | 3,628 | +4.45% |
| 2007 | 6,357 | +7.26% |
| 2012 | 7,257 | +2.68% |
| 2017 | 9,241 | +4.95% |
| Source: INSEE[6] | ||
交通
スポーツ
アパトゥは、サッカーチームであるASCアグアドのホームであり、このチームはスタド・ド・ムテンデを本拠地としている[9]。
