1355年、ジョチ・ウルスのジャニベク・ハンはアーザルバーイジャーンに侵攻し、アシュラフを捕らえ、サライに連行しようとしたが、シルワーン王カーウースらによって処刑を懇願されたので、その場で処刑した。アシュラフの首はタブリーズのモスクの門に懸けられた。ジャニベク・ハンはアシュラフの子女ティムール・タシュとスルターン・バフトを連れて帰国し、息子のベルディ・ベクをアーザルバーイジャーンに残した。
ベルディ・ベクは父の病状が重くなったという知らせを聞き、ジョチ・ウルスに帰国したので、ワズィールのアヒジュクにアーザルバーイジャーンの軍事を委ねた。
1358年、ジャライル朝のシャイフ・ウヴァイスが侵攻してきたので、サナタイ山で抗戦したが、勝負は決しなかったため、両軍は互いに向かい合って夜を過ごした。翌朝、アヒジュクがナフチワーンに逃走したため、シャイフ・ウヴァイスは空になったタブリーズに入城した。アヒジュクがカラバク山中に軍を集結させると、冬が来たのでシャイフ・ウヴァイスは退却した。
1359年、ムザッファル朝のムバーリズッディーン・ムハンマドはイスファハーンからイラーク、ファールスの2千騎と、ルリスターンの1万騎を率いてアーザルバーイジャーンに侵攻し、ミヤーナでアヒジュクと遭遇してアヒジュクの歩騎3万を破り、タブリーズを占領した。2か月後、シャイフ・ウヴァイスがバグダードから侵攻していると聞いたムバーリズッディーン・ムハンマドはイスファハーンへ退却した。ムバーリズッディーン・ムハンマドはタブリーズに到着すると、アヒジュクを召して厚遇した。しばらくして、アヒジュクはシャイフ・ウヴァイスを殺そうとしたと告発されたため殺された。