アビ・ヴァールブルク
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ハンブルクの富裕なユダヤ人銀行家の家庭に生まれ育つ。祖先はイタリアからドイツに移住したセファルディムである。ボンとミュンヘンとストラスブールで考古学と美術史のほか、医学、心理学、宗教史を学ぶ。博士論文のテーマはボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》と《プリマヴェーラ》だった。
4人兄弟の長男だったが家業の相続を嫌い、家督を弟マックス・ヴァールブルクらに譲る代わりに、生家の経済的援助で研究を続けた。1896年には米国に旅して、ホピ族に関する人類学的研究をおこなっている(「蛇儀礼」)。
鬱病と統合失調症を患い、1921年、スイスのクロイツリンゲンにあったルートヴィヒ・ビンスヴァンガーの神経科医院に入院。1924年、医師や患者仲間たちの前で高度な学術的講義をおこなうことで正気を証し、退院を許される。
晩年の5年間は、精神病の再発を気遣いつつも、未完に終わった「ムネモシュネ・アトラス」の主要論文を執筆。ハンブルクで心臓病のため死去。
研究のために収集した書籍・映像資料を私設の「ヴァールブルク文化学図書館(Kulturwissenschaftliche Bibliothek Warburg)」で公開していたが、ヴァールブルクの死後、ナチスの台頭を避けてロンドンに移転、現在はロンドン大学附属のウォーバーグ研究所が運営されている。