アマウリ・リーバス
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | モンテ・クリスティ州ラス・マタス・デ・サンタ・クルス |
| 生年月日 | 1985年12月20日(40歳) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 215 lb =約97.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2005年 アマチュアFA |
| 初出場 | CPBL / 2014年9月4日 |
| 最終出場 | CPBL / 2014年9月26日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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アマウリー・キース・リーバス・アブレイユ(Amaury Keith Rivas Abreu、1985年12月20日 - )は、 ドミニカ共和国・モンテ・クリスティ州ラス・マタス・デ・サンタ・クルス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
台湾球界での登録名は、李韋斯(リーウェイスー)。
プロ入りとブルワーズ傘下時代
2005年2月にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結びプロ入り。この年は傘下ルーキー級アリゾナリーグのアリゾナリーグ・ブルワーズ(AZLブルワーズ)で14試合に登板して、2勝1敗、防御率6.91の成績を挙げた。[2]。
2006年は、傘下ルーキー級AZLブルワーズで4試合に登板して1勝を挙げた[2]後、傘下ルーキー+級ヘレナ・ブルワーズに昇格し、ここでは10試合(全て先発)に登板して5勝4敗、防御率3.02という成績を挙げた[2]。
2007年は、傘下ルーキー級AZLブルワーズで6試合の登板にとどまった[2]。
2008年は、傘下A級ウェストバージニア・パワーで開幕を迎え、19試合(うち先発15試合)に登板し、8勝3敗、防御率3.50という成績を残した[2]。7月に傘下A+級ブレバード・カウンティ・マナティーズに昇格し、ここでは7試合(うち先発6試合)に登板して1勝2敗、防御率4.20の成績を残した[2]。
2009年は、傘下A+級ブレバードで26試合(うち先発23試合)に登板し、13勝7敗、防御率2.98という好成績を挙げた[3]。オフの11月18日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[3]。
2010年は、傘下AA級ハンツビル・スターズで25試合(全て先発)に登板し、11勝6敗、防御率3.37の成績を残した[3]。
2011年は、傘下AAA級ナッシュビル・サウンズで28試合(全て先発)に登板し、7勝12敗、防御率4.72という成績だった[3]。
2012年は、傘下AAA級ナッシュビルでリリーフに転向。自己最多の50試合に登板して5勝8敗1セーブ8ホールド、防御率5.24という成績を残したが、オフの11月2日にFAとなった[3]。
マーリンズ傘下時代
2012年12月10日にフロリダ・マーリンズとマイナー契約を結んだが[3]、開幕前の2013年3月29日にFAとなった[3]。
台湾球界時代
2014年5月24日、台湾の社会人チームである崇越ファルコンズに入団。この年に始まった社会人リーグのポップコーンリーグにおいて、9試合に登板して5勝1敗、防御率1.93の好成績を挙げ、年間MVPを獲得した[4]。
8月31日に中華職業棒球大聯盟CPBL(CPBL)の統一セブンイレブン・ライオンズと契約した。5試合に先発し、1勝0敗、防御率2.07を記録したが[5]、シーズン終了後に退団した。オフは母国ドミニカのウィンターリーグである「リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ」のアギラス・シバエーニャスに参加した。
中日時代
2014年12月15日、中日ドラゴンズと契約を結んだことを発表した[6]。先発ローテーション枠を担う投手として期待されたが、ナゴヤドームでのオープン戦初戦となった2015年2月28日の対ロッテ戦に先発するも2回途中9失点と大炎上し降板。さらにその後右肩痛を訴えドミニカに一時帰国し[7]、シーズン中に一度は再来日するも程なく治療のため再帰国するなど、一軍はおろか二軍でもほとんど登板がなかった[8]。シーズン終了後に解雇された。