アメリカ合衆国憲法修正第26条
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第1節 十八歳またはそれ以上の合衆国市民の投票権は、年齢を理由として、合衆国またはいかなる州もこれを拒否または制限してはならない。
第2節 連邦議会は、適当な法律の制定によって、本条を施行する権限を有する。
背景
18歳以上に対する選挙権は、ドワイト・D・アイゼンハワー、リンドン・ジョンソンおよびリチャード・ニクソン各大統領によって後押しされた。この修正条項に類似する法律が1970年に可決されたが、オレゴン州とテキサス州は裁判所でその無効判決を出し、「オレゴン州対ミッチェル事件」における合衆国最高裁判所判決では、州の選挙に対して18歳以上の有権者登録を要求する法の一部を違憲であるとした。この時までに既に4州が21歳以下の市民に選挙権を認めていた[1][2]。
連邦議会と州議会は、選挙権の無い若者が徴兵されて戦い死んでいくベトナム戦争の故に、憲法の修正を成立させる圧力を強く感じるようになっていた。有権者年齢を下げることを主張する者達に共通して使われたスローガン「戦えるだけの年齢、投票できる年齢」は、第二次世界大戦にその根源があり、フランクリン・ルーズベルト大統領が徴兵年齢を18歳まで下げていた。その考え方は、軍隊に徴兵されるに十分な年齢の人々は、何時どのように軍隊が使われるかを決定する文民政府の選出に発言すべきだということだった。有権者年齢を下げることについて、何人もの大統領が議会に憲法修正を提案するよう要求したが、どの試みも「オレゴン州対ミッチェル事件」の判決が出るまで大した成果も無かった。このとき、47の州は新しい連邦の要求に従って有権者年齢を合わせるか、多額の納税者の金を支払って1972年の選挙の日に年齢差別のある投票という混乱のリスクを冒すか、どちらかを強いられることになった。修正第26条は1971年にジェニングス・ランドルフ上院議員の再提案で議会を通過し、数ヶ月の内に必要な4分の3の州議会で批准され、修正条項の中では最も短期間での成立となった。修正第26条は1971年7月7日に総務局長官によって正式に証明された[3]。
