アッバース・アラーグチー
イランの外交官、外務大臣
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経歴
1989年にイラン外務省入省。
1990年代初頭にイスラム諸国会議機構(現・イスラム協力機構)でイラン・イスラム共和国政府代表部の代理公使 (chargé d'affaires)[4]。
1999から2003年まで駐フィンランド・イラン大使。2007から2011年まで駐日イラン大使[4]。
大使就任前は政治国際問題研究所 (IPIS) 所長。
2004年から2005年まで国際関係学院(SIR) 学長[4]。
2017年12月まで法律・国際問題担当外務次官。
2017年12月から2021年9月まで政治担当外務次官[4][6]。
P5+1(常任理事国5か国とドイツ)の核協議でイラン首席交渉官[7]。
外務大臣
2024年8月21日、外務大臣に就任。国会の信任投票で288票中247票を得た[2]。
イランの核開発問題に危機感を感じていたイスラエルが2025年6月13日にイランへ直接攻撃(2025年6月ライジング・ライオン作戦)を開始すると、外相としてイスラエルやアメリカ合衆国を非難しつつ、停戦に向けて訪欧て各国外相と折衝した[8]。
その後はオマーン外相の仲介が入り、アラーグチーとアメリカのジャレッド・クシュナーとの間で核開発計画をめぐる間接協議が断続的に行われた。2026年2月26日にもスイスのジュネーヴで協議が行われ、何らかの進展があったと報じられていたが[9]、2日後の2月28日、2026年イスラエルとアメリカ合衆国によるイラン攻撃が始まり協議は頓挫。その際、仲介役であるオマーンにも攻撃が及んだが、イランは「オマーンは友好国、隣国である」として自国の関与を否定し、イスラエルによる偽旗作戦であると指摘した。オマーンは協議途中にイランを攻撃した米イスラエルを「積極的かつ真剣な交渉が再び台無しにされた」と強く非難し、「外交の扉は開いている」として停戦と外交への復帰を呼びかけた[10][11]。
アラーグチーは、攻撃を始めたアメリカに対し「イランの体制転換は不可能だ」として攻撃をやめるよう呼びかけた[12]。また、米NBCの取材の中で「我々は米国と2回交渉したが、いずれの交渉でも途中で攻撃された」とアメリカを非難する姿勢を示した[13]。アメリカの担当者は、アラーグチーの交渉当事者としての能力を疑っていた[14]が、同年4月11日からパキスタンの首都イスラマバードで始まったアメリカとの停戦協議の場にモハンマド・バーゲル・ガーリーバーフ国会議長とともに姿を現し、パキスタンが間に入った間接交渉に参加した[15]。その後、同年4月17日にはSNSを通じて封鎖が続いていたホルムズ海峡の開放を発表した[16]が、翌日にはイスラム革命防衛隊が海峡封鎖の継続を発表するなど[17]国内の足並みの乱れが露呈。政権内部や軍部を掌握する能力には、依然として疑問符が付く結果となった。
駐日イラン大使
2007年に駐日イラン大使[4]、2008年2月に赴任[18]、3月11日に皇居で信任状を捧呈[19]。
2007年10月8日に横浜国立大学生がイラン南東部スィースターン・バルーチェスターン州で武装麻薬密輸団に誘拐された事件[20]について、2008年3月27日に東京で開いた記者会見で、「(誘拐された大学生は)全く無事だ」とイラン当局が仲介役の部族指導者を通じて解決に向けて動いている旨を発表した[21]。2008年6月14日に当該学生は無事に解放された[22]。
赴任後初の訪問先は広島で、2008年5月21日に原爆ドームや原爆資料館で被爆直後の被害者の写真などを見て回り、彼がまだ20代であった頃に8年もの長きにわたって戦われたイラン・イラク戦争でイラクの独裁者サッダーム・フセインが躊躇なく使った毒ガス兵器による被害者を想起し、核兵器をはじめとする大量破壊兵器を即刻廃絶すべきである、と意見を述べた[18]。イランの核開発計画は、核拡散防止条約 (NPT) 体制と国際原子力機関 (IAEA) の監視を尊重することを前提とした原子力の平和利用であると強調し、平和を愛して原子力を平和利用する日本とイランの両国の連帯を強調した[18]。
在任中の2011年3月11日に発生した東日本大震災で、3月24日に徳永久志外務大臣政務官を表敬訪問してイランの緊急援助物資の目録を手渡し、イランに甚大な被害を与えた2003年バム地震で日本から受けた支援を忘れていないことに触れ、「類い希なる忍耐と能力を有する日本国民は,必ずやこの困難を乗り越えることができると確信している」と述べて日本国民を激励した[23]。4月23日に大使夫人、大使館シェフ、イラン出身のサヘル・ローズらは、被災地の岩手県山田町で鶏肉のトマトシチュー[注 2]、ナン、伝統菓子など500食以上を炊き出した[24]。
著書
- 稲見誉弘 訳『イランと日本 駐日イラン大使の回顧録2008-2011』論創社、2024年10月。ISBN 978-4-8460-2413-0。
