アラゴン連合王国

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アラゴン連合王国カタルーニャ語: Corona d'Aragóアラゴン語: Corona d'Aragónスペイン語: Corona de Aragónイタリア語: Corona d'Aragonaラテン語: Corona Aragoniae)は、アラゴン王国アラゴン語: Reino d'Aragón)およびカタルーニャ君主国カタルーニャ語: Principat de Catalunya)を中心とする複数の君主国の同君連合として構成された中世南ヨーロッパの国家である。イベリア半島東部に興り、西地中海の島々や南イタリアを領有するなど、地中海国家としても発展した。日本語訳は一定せず、アラゴン=カタルーニャ連合王国アラゴン地中海帝国などとも呼ばれるが、単にアラゴン王国と呼んでこの連合王国を指す場合も多い。

概要 アラゴン連合王国, 公用語 ...
アラゴン連合王国
Corona d'Aragón (アラゴン語)
Corona d'Aragó (カタロニア語)
Corona Aragonum (ラテン語)
Corona de Aragón (スペイン語)
国旗
国章
アラゴン王国の位置
アラゴン連合王国の最大領域(1443年)
公用語 カタルーニャ語アラゴン語ラテン語
言語 オック語サルデーニャ語コルシカ語ナポリ語シチリア語カスティーリャ語バスク語[1]ギリシャ語マルタ語アル=アンダルス・アラビア語モサラベ語
宗教 多数派
カトリック
少数派
イスラム教スンナ派ユダヤ教ギリシャ正教
首都 サラゴサフラガカラタユータラソナモンソンナポリ、他
アラゴン王バルセロナ伯
1137年 - 1162年 ペトロニラ
ラモン・バランゲー4世
1162年 - 1196年 アルフォンソ1世
1396年 - 1410年 マルティン1世
1412年 - 1416年 フェルナンド1世
1479年 - 1516年 フェルナンド2世
1516年 - 1556年 カルロス1世
1700年 - 1716年 フェリペ5世
面積
1300年 12万[2]km²
人口
100万[2]
変遷
アラゴン王国カタルーニャ君主国王朝連合成立 1137年
アルフォンソ1世のアラゴン王およびバルセロナ伯即位 1162年
マヨルカ島征服 1231年
バレンシア地方征服 1238年 - 1245年
カスペの妥協 1412年
ナポリ王国征服 1435年 - 1442年
フェルナンド2世とイサベル1世の結婚 1469年
ナポリ王国再征服 1501年 - 1504年
スペイン継承戦争 1701年 - 1714年
新国家基本法制定 1716年
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歴史

起源

1137年アラゴン王国ラミロ2世王の一人娘ペトロニラ女王とカタルーニャの君主であるバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚によって、王朝連合が成立した。これはアラゴンによるカタルーニャの併合でもその逆でもなく、両者がそれぞれの政治制度を維持したまま対等な連合関係を結んだものである。ラモン・バランゲー4世はカタルーニャとともにアラゴンの統治も行い、ペトロニラとの間の息子アルフォンソ2世はアラゴン王とバルセロナ伯を兼ねた。

勢力拡大

カスティーリャとの連合

カスティーリャの女王イサベル1世の夫で共同君主であったフェルナンド5世がアラゴン王フェルナンド2世として即位した1479年に、スペイン王国へと統合されたと見なすことができる。これもまた各国が政治制度を維持したままの連合であったが、実態としてはカスティーリャを中心とするものであり、スペイン継承戦争を経てスペイン・ブルボン朝の支配が確立した18世紀初めには、新国家基本法により旧来の政治機構は解体されて中央集権化が図られた。

解消

主な領域

イベリア半島および周辺

イタリア南部および島嶼部

フランス南部

ギリシャ

脚注

参考文献

関連項目

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