アルピーヌ・A220
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アルピーヌ・A220(1969) | |
| カテゴリー | グループ6 |
|---|---|
| コンストラクター | アルピーヌ |
| 先代 | アルピーヌ・A210 |
| 主要諸元 | |
| シャシー | 鋼管スペースフレーム[1] |
| サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン[1] |
| サスペンション(後) | 上 : Iアーム、下 : 逆Aアーム[1] |
| 全長 | 4,640 mm[1] |
| 全幅 | 1,690 mm[1] |
| 全高 | 990 mm[1] |
| ホイールベース | 2,300 mm[1] |
| エンジン | アルピーヌ ・62A2型[2] 2,996 cc[1] V8、DOHC2バルブ[1] NA ミッドシップ |
| トランスミッション | ZF[1] 5段+リバース[1] |
| 重量 | 813 kg[1] |
| タイヤ | ミシュラン |
| 主要成績 | |
アルピーヌ・A220(Alpine A220)は1968年にアルピーヌがスポーツカーレース出場のために開発・製作したレーシングカーである。
1963年から小排気量車でレース活動を行っていたアルピーヌは、1968年からル・マン24時間レースの総合優勝を目標に、3リッターエンジン搭載のA220を開発・製作しスポーツカーレースに参戦を開始した。しかし結果を残すことが出来ず1969年限りでスポーツカーレースから撤退することになった。
戦績
- 1968年
FIAのCSI(国際スポーツ委員会)は1968年からスポーツカーレースに3リッター・エンジンによるプロトタイプクラスのグループ6レギュレーションを導入した。小排気量マシンでスポーツカーレース活動をしていたアルピーヌは、グループ6マシンを開発・製作してル・マン24時間レースの総合優勝を目指すことになった。これはモータースポーツ・シーンでのフランス車の復権を後押しするド・ゴール政権の意向によるものでもあり、政府からの財政支援も受けていた[3][4][5]。
A220は小排気量車のA210と同じく鋼管スペースフレームに、アメディ・ゴルディーニが新たに設計したV型8気筒エンジンを搭載し、ZF製の5段ギヤボックスを装備した[2]。エンジン出力は設計自体が時代遅れであった上に、未だキャブレターに依っていたため310 bhpと燃料噴射装置を装備していた他の3リッターマシンと比べて100 bhp近く下回っていた[2]。ラジエーターはA210までは車体前部にあったものがA220では車体側面に設置されるようになった [6][2][7] 。サスペンションはダブルウィッシュボーン・サスペンションで、ブレーキはA210から変わらずディスクブレーキでベンチレーテッド式となり[2]、タイヤはミシュランの15インチが採用され、トレッド幅は拡大された[8]。燃料タンクはアルミ合金製からラバーバッグになり安全性が向上した[9]。エクステリア・デザインは引き続きマルセル・ユベールが担当した[9]。
アルピーヌは、1968年のル・マンには4台のA220をエントリーさせたが、完走は8位でゴールしたアンドレ・デ・コルタンツ/ジャン・ヴィナティエ組の#30の1台にとどまった[10][11][12]。
- 1969年
1969年仕様のA220は、車体側面にあったラジエーターを尾部に移設したが[13]、性能不足のエンジンには手が入れられず、1968年仕様から変化はなかった[14]。
ル・マンに1969年仕様3台、1968年仕様1台の計4台を送り出したが全滅に終わった[15][16][11]。A220の成績不振と、フランス政府からの資金援助が終了したことから、アルピーヌはモータースポーツからの撤退を決断した[17] 。