アレクサンダー・フォン・ヴァーグナー
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当時オーストリア帝国の領地であったハンガリーのペシュトに、裁判官の息子に生まれた[1]。15歳の時、ペシュトの高校を中退して、ペシュトに住む風俗画家のヴェバー・ヘンリク(1818-1866) から絵を学び始めた[2]。1854年からウィーン美術アカデミーでカール・フォン・ブラースに学んだ。友人のリーゼン=マイヤー(Alexander von Liezen-Mayer)とミュンヘンに留学した。1856年にミュンヘン美術院に入学し、カール・フォン・ピロティに学び、フランツ・フォン・レンバッハを中心とする画家グループに加わり、バイエルンの山間地、アレジング(Aresing)やその周囲の地方に写生旅行を行なった。ヴァーグナーも、農民の生活を描いた風俗画や風景画を描いた[3]。
1864年から1866年の間、イタリアやスペインを旅した後、1866年にミュンヘン美術院でヘルマン・アンシュッツの助手に任じられ、1869年に美術院の教授に任じられた。そのためハンガリーの国籍を捨てることになった。ヴァーグナーの教えた学生には、ムンカーチ・ミハーイ、シニェイ・メルシェ・パール、ヴァーゴー・パール、アグハージ・ジュラらのハンガリー人画家もいた[4]。ヴァーグナーが画家として人気が出た後、オーストリア皇后、エリーザベトの肖像画を描いた。
1898年にバイエルン王冠勲章 (Verdienstorden der Bayerischen Krone)を受勲し[5]、貴族に叙せられた。1910年に美術院を退職した。