アレクサンドロス・モザイク
古代ローマのモザイク画
From Wikipedia, the free encyclopedia
概況
内容
アレクサンドロス大王とダレイオス3世の合戦を描いている。通説では「イッソスの戦い」だが、「ガウガメラの戦い」「特定の戦いを描いていない」とする説もある[1][7]。
左側には、アレクサンドロスの上半身と愛馬ブケファロスが描かれているが、その周囲のモザイクは破損している[7]。アレクサンドロスはゴルゴンの装飾がある鎧を着て[6]、兜を被らず、前方のダレイオスをまっすぐ見つめている[1]。アレクサンドロスの背後にいる金の葉飾りの兜の男は側近と考えられる[2]。
右側では、ダレイオスが戦車に乗って退却しようとしている[1]。ダレイオスはおびえた目をしており、弓を持っているが矢が尽きている[1]。馭者が鞭を振るい、馬丁がダレイオスに逃走用の馬を連れてきている[1]。戦車の周囲には、混乱状態のペルシア軍が描かれている[1]。ある兵士は馬に踏みしだかれ、ある兵士は盾の裏面に映る自分の顔を眺めている[1]。
中央では、アレクサンドロスの持つ長槍が、ペルシア騎兵の脇腹を刺している[1]。騎兵の馬は前のめりに地面に倒れている[7]。この騎兵はダレイオスの親族や側近とする説もある[3]。後続の騎兵はアレクサンドロスに剣で斬りかかろうとしている[1]。
ダレイオスが片手を前に伸ばしている理由は諸説あり[3][7]、アレクサンドロスに刺された騎兵への憐れみとも、指揮とも、命乞いとも言われる[3]。その手の後ろには、兜が特殊な兵士がおり、ペルシア側についたギリシア人傭兵と推測される[1]。
遠近法が使われており、画面奥には一本の樹と何本もの長槍がそびえている[1][8]。長槍の一本に旗印がついているが、ちょうどそこが破損して旗の模様が見えない[1]。地面には武器が散乱している[1]。
背景
プリニウス『博物誌』によれば、前300年ごろ、ディアドコイのカッサンドロス王が、画家エレトリアのフィロクセノスに、アレクサンドロスとダレイオスの戦闘が描かれた「第一級の絵」を描かせた[13][1][6]。本作はこの「第一級の絵」の模写と推測される[1][6][7]。フィロクセノスでなく女性画家アレクサンドリアのヘレネの作品の模写とする説もある[2]。アレクサンドロスと対立していたカッサンドロスが本作を描かせた理由は定かでない[1]。
前180年から前170年ごろ、ポンペイに「ファウヌスの家」が建てられ、前120年ごろ大改築された[1]。それから前100年ごろまでの間に本作が描かれた[1]。中庭のエクセドラ(応接間・談話室)の床絵であり[1]、工房で作ったものを運んで嵌めたと推測される[7]。
画中の破損は、後62年の大地震によるものと推測される[1]。当時若干の修復がされたが、修復が完了する前に、後79年のヴェスヴィオ山噴火で地中に埋もれた[1]。
18世紀、ポンペイの発掘が始まり、1831年に本作が発見された[1]。1843年、ナポリ国立考古学博物館に移され、現在は同館の壁に展示されている[1]。
2020年から2021年、最新の科学技術による修復と分析が行われ[10][14]、テッセラの産地がポルトガルやチュニジアに及ぶことなどが判明した[14]。

