アレックス・デルベッキオ
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| アレックス・デルベッキオ | |
|---|---|
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1960年代デトロイト・レッドウィングス | |
| 本名 | アレキサンダー・ピーター・デルベキオ |
| 原語名 | Alexander Peter Delvecchio |
| 愛称 | ファッツ (Fats) |
| 生誕 |
1931年12月4日 フォート・ウィリアム |
| 死没 |
2025年7月1日(93歳没) ロチェスター |
| 身長 | 5 ft 11 in (1.80 m) |
| 体重 | 180 lb (82 kg; 12 st 12 lb) |
| ポジション |
センター 右ウィング |
| ショット | 左打ち |
| 所属したチーム | デトロイト・レッドウィングス |
| プロ選手期間 | 1951年 – 1973年 |
| 1977年殿堂入り | |

アレックス・デルベッキオ(英語: Alex Delvecchio, 1931年12月4日 - 2025年7月1日)は、カナダ連邦オンタリオ州フォート・ウィリアム出身の元プロアイスホッケー選手。ホッケーの殿堂入りを果たしている。
12歳で初めてスケートを学んだ。これはNHL選手としては非常に遅い部類である。オンタリオ・ホッケー協会のオシャワ・ジェネラルズでプレーした後、1952年にデトロイト・レッドウィングスに加入、その年、チームのスタンレー・カップ制覇に貢献した。組織的なホッケーを初めてプレーしてからわずか6年後の1951年3月25日、シーズン最終戦の代役としてNHL初出場した。[1]
彼は22シーズンに渡ってデトロイト・レッドウィングスのセンター、レフトウィングとしてプレーした。ゴーディ・ハウ、テッド・リンジーとのラインが知られている。同一チームで22シーズンプレーしたのはNHL史上彼だけである。リンク上では滑らかなスケーティングと優れたパサー、また紳士的なプレーでも知られておりレディ・ビング記念賞を3回受賞している。
1968-69に最高のシーズンを送り、ハウとフランク・マホブリッチをウイングに据え、25ゴール58アシスト83ポイントを記録し、マホブリッチの49ゴール、ハウの103ポイントも各々のキャリア最高記録だった。またハウとジャン・ベリヴォーに続き、NHLで3人目の1,000ポイント達成者となった。
輝かしいキャリアの持ち主であるもののレッドウィングスの得点王になったことは一度もなく、1969-70年シーズン、チームトップのゴーディ・ハウに3点差であったのがもっとも惜しいシーズンであった。耐久力も非常に持ち合わせており、レギュラーシーズンを548試合連続出場し、1956-57シーズンに足首の骨折で22試合を欠場した後、最後の16シーズンで14試合を除きすべてに出場した。
1973年に現役を引退したが出場試合数、アシスト数、ポイント数のそれぞれで当時歴代2位であった。現役引退後デトロイト・レッドウィングスのヘッドコーチ、ゼネラルマネージャーを務め1977年にホッケー界を去った。この年ホッケーの殿堂入りを果たしている。
現役引退時にレッドウィングスにおけるオフェンスの多くのカテゴリでハウに次ぐ歴代2位であったが現在ではスティーブ・アイザーマンに多くのカテゴリで抜かれた。しかし出場試合数では依然として歴代2位である。
引退後はコーチとしてベンチのすぐ後ろに座り、1974年以降ゼネラルマネージャーやコーチを経て1976-77シーズン途中まで務めた。その後、自身の会社「アレックス・デルベッキオ・エンタープライズ」を設立し、銘板や看板、販促品の製作と彫刻を行った。また、ミシガン州での慈善活動にも積極的に参加し、レッドウィングスの同窓会の積極的なメンバーでもあった。[2]