アレハンドロ・アガグ
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政治家として
アガグの政治家としてのキャリアは18歳の当時野党だった国民党の青年団体、「国民党の新世代(Nuevas Generaciones, NNGG)」の一員になったことに始まる。大学時代から政治活動に関わっていたため、組織ではどんどん出世していった。また、言語の知識量から党の国際関係の部門に加わった[2]。この間に、アガグはNNGGを代表してDEMYCやEYCDのようなヨーロッパやその他世界中の中道右派の政党の各青年政治組織を寄せ集めるため、広く旅した。
1994年、NNGGの大会にて国際事務局長に選出された。同年、経済学を修めて卒業すると、欧州人民党(European People's Party, EPP)副事務総長の地位の申し入れを受けた。このオファーは数か月前に行われた選挙の結果選ばれたドイツ人のクラウス・ヴェレ事務総長直々のものだった。ヴェレはアガグと青年組織のときにすでに顔を合わせており、そのことからアガグが23歳でEPPに入ることになった。この年、アガグは欧州議会選挙に立候補し、エクストレマドゥーラ州の町村で選挙活動を行ったものの、結果は落選した。
副事務総長としては、EPP内で異なる政策をもつ作業グループらとの調整や議会で提案される政策文書の起草を担当した。また、欧州理事会が開かれる前に会合を行い、すべてのEPPの党首や政府らが参加するサミットの一員であった[3][4]。
1996年、スペインでの選挙は中道右派が勝利したことから、ホセ・マリア・アスナール首相が指名する助手の職に就いた。首相には外交・軍事・政治を担当する3人の助手がおり、アガグは政治担当だった。25歳のときにこの職に選ばれ、3年間在職することになる。
1999年、28歳で欧州議会議員に選出され、経済金融問題委員会に入り、 独占禁止法に力を注いだ。2000年、議会への独占禁止法に関する報告を取りまとめ、現行の独禁法へと再起草した。

この年の初め、同僚クラウス・ヴェレに代わってEPPの事務総長に選ばれた[5]。ヴェレは組織を東欧へと拡大することを委任し、アガグが事務総長であった期間にこの地域から20以上もの新しい政党が加わることになる。この年の終わりの選挙で初めてEPPは勝利し、欧州議会で最大の勢力となった[6]。
アガグはイタリアにおいても積極的に活動した。党内でも反対する者もいる中での決断となったが、シルヴィオ・ベルルスコーニの党であるフォルツァイタリアをEPPへと受け入れた。この結果、フォルツァ・イタリアは2001年のイタリアでの選挙に勝利することができた。アガグはローマで行われたフォルツァ・イタリアの閉党式に参加している。
2000年、メキシコにてキリスト教民主インターナショナル(この会合で改称し、現在は中道民主インターナショナル)の事務総長に選ばれた。この国際的な政治組織には世界中から90以上もの政党が参加している。
2001年、ビジネスやスポーツ促進活動を行っていくために政治家としての活動を終えた。翌年、EPPは彼の旧友でもあるアスナールによってアントニオ・ロペス・イストゥリズに引き継がれた。
ビジネスマンとして
2002年、アガグはロンドンに拠点を移し、自身のコンサルティング会社を始め、通信、エネルギー、メディアといった多方面の分野を取り扱っている。財務アドバイスやファンドのマネジメントにも活動を拡大し、金融サービス機構(FSA, Financial Services Authority)の取り締まりの下でアダックス・キャピタル・LLPという会社をつくった。スペインのロスチャイルド銀行の前CEOで、リーマン・ブラザーズで働いていたイグナチオ・ムニョス・アロンソによって2009年に加わり、現在はアダックスの会長を務めている。
2007年、フィナンシャル・タイムズ紙でスペイン経済界での「10人の有力者(Shakers and Movers)」の1人に挙げられた。「政界の希望(political hopeful)」や「経済人(economist)」、「銀行家(banker)」、「根気強いディール・メーカー(indefatigable dealmaker)」とFT紙で評されている。
アガグはしばしば、メディアで彼の幅広い交流や世界中の政治やビジネスについて言及しており、スペインの新聞エル・パイスでノキアのSIMカードを「プリンセス」と記している。
2008年、GQ紙にてスペインの「ビジネスマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。