ルーカス・ディ・グラッシ

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生年月日 (1984-08-11) 1984年8月11日(41歳)
デビュー 2014–15
ルーカス・ディ・グラッシ
Lucas di Grassi
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1984-08-11) 1984年8月11日(41歳)
出身地 ブラジルの旗 ブラジル サンパウロ
フォーミュラEでの経歴
デビュー 2014–15
所属 ローラ・ヤマハ・アプト・フォーミュラEチーム
車番 11
過去所属 アウディ・スポーツ・アプト・シェフラー
ロキット・ヴェンチュリー・レーシング
出走回数 63
優勝回数 10
ポールポジション 3
ファステストラップ 6
シリーズ最高順位 1位 (2016-17)
基本情報
略称表記 DIG
F1での経歴
活動時期 2010
所属チーム '10 ヴァージン
出走回数 19 (18スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 2010年バーレーンGP
最終戦 2010年アブダビGP
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ルーカス・ツッチ・ディ・グラッシLucas Tucci di Grassi, 1984年8月11日 - )は、ブラジルサンパウロ出身のレーシングドライバー

カート

1997年から2001年は世界各国のカート選手権に参戦。パンアメリカン選手権チャンピオン、南米選手権チャンピオン、ブラジル選手権チャンピオンと、完全制覇する。

ブラジルフォーミュラルノー

2002年はブラジルフォーミュラルノーで2位。

南米F3

2003年は南米F3に参戦。選手権2位。

イギリスF3

2004はイギリスF3に参戦。選手権8位。この年からルノー・ドライバー・ディベロップメント・プログラムに入る。

ユーロF3

2005年はユーロF3に参戦して選手権3位。その後、マカオグランプリに参戦して総合優勝を果たす。

GP2

2006年からGP2に参戦。2006年はデュランゴチームより参戦。初年度はランキング16位で終える。2007年はARTグランプリから参戦。この年急成長しランキング2位に入る。2008年は第4戦からバルワインターナショナル・カンポスチームから参戦し、初め3戦を欠場していたのにもかかわらずランキング3位となる。この年ついにルノーF1チームのサードドライバーになる。2009年は、レーシング・エンジニアリングから参戦しランキング3位となる。

F1

2008年にルノーのサードドライバーになり、2008年のオフシーズンにホンダのテストに参加。しかしホンダが撤退したためレギュラードライバーのシートは得られず。2009年はGP2に参戦していたが、シーズン中にネルソン・ピケがチームを離脱、サードドライバーのロマン・グロージャンがレギュラードライバーに昇格したためサードドライバーに復帰した。

2009年12月15日、ヴァージン・レーシングと契約したことを発表。2010年のF1世界選手権に参戦することになった。開幕2戦はマシントラブルでリタイアに終わった。第3戦マレーシアGPでは、マシンの燃料タンクの設計にミスがあったために終盤ペースを落としての走行ではあったが自身初となる完走(14位)を果たした。第9戦ヨーロッパGPでは予選で初めてチームメイトのティモ・グロックより前のグリッドを獲得すると、決勝でもグロックより前の17位でフィニッシュした。第16戦日本GPでは久しぶりに予選でグロックの前につけたものの、決勝スタート前のレコンサンスラップ中にクラッシュしスタートできずに終わった。

2011年は本人曰く「スポンサー不足が理由」でヴァージンのシートをジェローム・ダンブロシオに奪われてしまったとのこと[1]。他チームのシートを得ることは出来なかったが、ピレリのテストドライバーに就任した。

フォーミュラE

2013年には、翌年よりシリーズ発足が予定されているフォーミュラEの開発ドライバーに就任し、初年度のワンメイクマシンである「SRT_01E」のテストを担当している[2]

2014年から開幕したFIA フォーミュラE選手権に、アウディ・スポーツ・アプト・フォーミュラEチームから参戦。初戦の北京ePでは最終25周目の最後のコーナーで前を走っていた2車がクラッシュした隙にトップでゴール、フォーミュラE初めての勝者となり、以降も頻繁に表彰台に上がる活躍を見せる。第8戦のベルリンGPも優勝、年間チャンピオン争いから頭一つ抜け出したかに見えたが、レース後の車検で違反ウィングの使用が発覚、失格となりこのレースでの得点を失う。これが影響して初年度は年間3位に終わった。

リベンジを誓う翌15-16シーズンも序盤から好調で第2戦プトラジャヤePで優勝し序盤4戦ですべて表彰台に上がる。ライバルであるルノー・e.damsセバスチャン・ブエミとランキング争いでも優位に立っていた。しかし第5戦メキシコePでも優勝したかと思いきや、レース後の車検にて最低重量を下回ったとして失格となってしまった。その後は2連勝・3位・4位と得点は重ねるがこの失格が響き、同じく3勝を上げていたブエミに最終戦でポールポジションを取られた事でついに同点に並ばれてしまう。迎えた決勝はスタート直後の1コーナーでブエミと接触、両者揃ってポイント圏外でのレースを強いられる。タイトル争いはファステストラップの2ポイントを巡る戦いとなったが、ブエミの出したタイムを自身含め誰も最後まで塗り替えることが出来ず、わずか2ポイント差でまたもチャンピオンの座を逃してしまった。

参戦3年目となる16-17シーズンではブエミが前半6戦で5勝と圧倒的な速さを見せるのに対し、自身は1勝と表彰台3回に留まり遅れを取っていた。しかしブエミはその後第7戦ベルリンePrix(1日目)で失格、第9戦・第10戦ニューヨークePrixを欠場、第11戦モントリオールePrix(1日目)で再度失格と4戦ノーポイントとなり、その間にディ・グラッシは上位入賞を繰り返してポイントを貯め、最終戦を前にランキングを逆転することに成功する。そして最終戦でブエミがノーポイントとなったため、3シーズン目にして悲願のチャンピオンを獲得した。ディ・グラッシは前年は失格が響きチャンピオンを逃したが、奇しくも本年はブエミが失格や欠場の影響でチャンピオンを逃すという正反対の結果となった。なお、今シーズンは全てのレースでファンブーストを獲得し、フォーミュラE史上初めての全戦ファンブースト獲得者となった。

参戦8年目となる21-22シーズンはアウディの撤退に伴い、ロキット・ヴェンチュリー・レーシングから参戦。エドアルド・モルタラとチームメイトを組む。総合ランキングは前年を上回る5位でシーズンを終えた。

エピソード

  • 同じブラジル出身のブルーノ・セナとは親友で、ともにトライアスロンに参加したこともある。そのときのチーム名は2人のニックネームを合わせた"Ribs Fat"(あばらの脂肪)。セナがゴーカートで肋骨をすべて骨折したことがあり、「グラッシ」がイタリア語で脂肪の意味であることから、その二つを合わせたことが由来となっている[3]
  • 2018年時点で、「過去10年間で最も成功したブラジル人ドライバー」の名声を得ている[4]

レース戦績

脚注

外部リンク

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