アンダーソン郡 (テキサス州)
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| テキサス州アンダーソン郡 | |
|---|---|
パレスティーン市にあるアンダーソン郡庁舎 | |
郡のテキサス州内の位置 | |
州のアメリカ合衆国内の位置 | |
| 設立 | 1846年 |
| 郡名の由来 | ケネス・L・アンダーソン |
| 郡庁所在地 | パレスティーン |
| 最大の都市 | パレスティーン |
| 面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
2,792 km2 (1,078 mi2) 2,773 km2 (1,071 mi2) 19 km2 (7 mi2), 0.66% |
| 人口 - (2010年) - 密度 |
58,458人 20人/km2 (52人/mi2) |
| 標準時 | 中部: UTC-6/-5 |
| ウェブサイト | www |
アンダーソン郡(アンダーソンぐん、英: Anderson County)は、アメリカ合衆国テキサス州の東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は58,458人であり、2000年の55,109人から6.1%増加した[1]。郡庁所在地はパレスティーン市(人口18,712人[2])であり[3]、同郡で人口最大の都市でもある。アンダーソン郡は1846年に組織化され、郡名はテキサス共和国の副大統領を務めたケネス・L・アンダーソンに因んで名付けられた。
インディアン
テキサス州東部のインディアンは開拓者に友好的だったが[4]、その後カイオワ族、キカプー族、キチャイ族、アパッチ族、コマンチ族が地域内に侵入してきた[5]。これらの部族は狩猟を行い、土地を耕し、商売もうまかった。1772年までに彼らはブラゾス川のウェーコやトリニティ川の上流、現在のパレスティーンの地に住んでいた。ウィチタ族のタワコニ支族は州北部の出だったが[6]、南の東テキサスに移住してきた。1843年からは、テキサス共和国やアメリカ合衆国と結んだ条約の相手がタワコニ支族だった。
1836年5月19日、コマンチ族、カイオワ族、カド族、ウィチタ族の同盟軍がパーカー砦を攻撃し、砦住人の大半を殺すか誘拐するかした。18人の開拓者がなんとかヒューストン砦に逃れた。ヒューストン砦は1835年にインディアンに対する守りのために、現在のアンダーソン郡内に設立されていた[7] [8]。パーカー砦で捕虜になった中には後にコマンチ族の酋長クアナ・パーカーの母になったシンシア・アン・パーカーがいた[9]。アンダーソン郡の住人にはいまでもシンシアの血を引く者がいる。
1838年10月、トマス・ジェファーソン・ラスク将軍がフランクストン近くで、キカプー族集落を襲撃し[10]、東テキサスでのインディアンとの戦いを終わらせた。
開拓者
1826年にデイビッド・G・バーネットがコアウイラ・イ・テハス州の議会から、現在のアンダーソン郡の領域で300家族分の土地特許を受けた[11]。地域開拓者の大半は州南部やミズーリ州から来た者達だった。
バプテストの精神的指導者ダニエル・パーカー[12][13]と他に8人の者達が、イリノイ州ラモットでピルグリム・プレデストリナリアン・レギュラー・バプテスト教会を組織した。その会員が1833年にテキサスのフロンティアに流れてきた。この集団の中に、サイラス・M・パーカー、モーゼス・ヘリン、エリシャ・アングリン、ルーサー・T・M・プラマー・デイビッド・フォーケンベリー[14]、ジョシュア・ハドレー、サミュエル・フロストが居た。現在のライムストーン郡中央を流れるナバソタ川の近くにできたパーカー砦は、近隣では最初期の実際の開拓地になった。パーカー砦が攻撃された後、生存者のうちの幾らかはアンダーソン郡の領域に移った。
郡の成立と成長
1846年3月24日、テキサス州第1議会で、ヒューストン郡から分離してアンダーソン郡が設立された。郡名はケネス・ルイス・アンダーソンに因んで名付けられた。パレスティーンが郡庁所在地に指定された[15]。
南北戦争の開始前に、アンダーソン郡は住民投票を行い、合衆国からの脱退を承認した[16]。南北戦争が始まると、元パレスティーン地区判事のジョン・H・リーガン[17][18]がアメリカ連合国内閣の郵政長官を務めたが、終戦時に捕らえられ、23か月間を独房で過ごした。レコンストラクションの時代には、パレスティーン住人である第9地区判事リューベン・A・リーブスが、司法手続きに黒人が陪審員として参加することを拒んだこともあって、「レコンストラクションへの障害」として職責から外された。
1875年、インターナショナル・グレートノーザン鉄道[19]がパレスティーンに機械修理工場と事務所を置いたので、その後の5年間で人口は2倍になった。
1928年1月、ハンブル・リジー・スミス1号油井と呼ばれた郡内では最初の油井が稼動した[20]。1929年から2000年までの累計石油生産量は、295,904,540 バーレル (47,045,062 m3) になった。
1950年から1960年の間にテキサス州がガス・エンジェリング野生生物管理地域を購入した[21]。その名前は地域に指名された最初の生物学者で、1951年12月13日に密猟者によって殺されたガス・A・エンジェリングに因んで1952年に改名されたものである。
地理
人口動態
| 人口推移 | |||
|---|---|---|---|
| 年 | 人口 | %± | |
| 1850 | 2,684 | — | |
| 1860 | 10,398 | 287.4% | |
| 1870 | 9,229 | −11.2% | |
| 1880 | 17,395 | 88.5% | |
| 1890 | 20,923 | 20.3% | |
| 1900 | 28,015 | 33.9% | |
| 1910 | 29,650 | 5.8% | |
| 1920 | 34,318 | 15.7% | |
| 1930 | 34,643 | 0.9% | |
| 1940 | 37,092 | 7.1% | |
| 1950 | 31,875 | −14.1% | |
| 1960 | 28,162 | −11.6% | |
| 1970 | 27,789 | −1.3% | |
| 1980 | 38,381 | 38.1% | |
| 1990 | 48,024 | 25.1% | |
| 2000 | 55,109 | 14.8% | |
| 2010 | 58,458 | 6.1% | |
Texas Almanac: 1850-2010[24] | |||
|
基礎データ
人種別人口構成
年齢別人口構成
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世帯と家族(対世帯数)
収入収入と家計 |
メディア
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