アントン・ドメニコ・ガビアーニ
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フィレンツェで生まれた。フィレンツェでフランドル出身の人物画家ユストゥス・スステルマンス(1597-1681)やフィレンツェ生まれの画家ヴィンチェンツォ・ダンディーニ(Vincenzo Dandini: 1607-1675)に学んだ。1673年にローマに移り、メディチ家の援助でローマに開かれていた美術学校で、チーロ・フェッリ(Ciro Ferri: 1634-1689 )やエルコレ・フェッラータ(Ercole Ferrata: 1610-1686)に学んだ。その後ヴェネツィアでセバスティアーノ・ボンベッリ(Sebastiano Bombelli: 1635-1719)のもとで修行した[2]。
1680年にフィレンツェに戻ると、メディチ家の宮廷の人々の肖像画や、トスカーナの邸宅や宮殿の装飾画を描いた。
1699年に再びヴェネツィアに短期間、滞在した後、18世紀はじめから宗教的な題材の作品に専念した。トスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチの注文で、サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会(Chiesa di San Frediano in Cestello)の天井画「マグダラのマリアの被昇天」(1702/1718)を描き、これはガビアーニの代表作の1つと考えられている[2]。
1713年にフィレンツェのサン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ教会(Chiesa di San Felice in Piazza)の天井画を描いていた時に足場から落ちて亡くなった[2]。
弟子にはジョヴァンニ・バッティスタ・チプリアーニ(1727-1785)やベネデット・ルティ(1666-1724)、ラニエーリ・デル・パーチェ(Ranieri Del Pace: 1681-1738)、トンマーゾ・レディ(Tommaso Redi: 1665-1726)、ジョヴァンナ・フラテリーニ(1666-1731)がいて、甥のガエターノ・ガビアーニ(Gaetano Gabbiani: ?-1750)も弟子であった[2][3]。
