アント・ドロブニャク
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | アント・ドロブニャク | |||||
| ラテン文字 | Anto Drobnjak | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1968年9月21日(57歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 79kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1986-1990 |
| 70 | (27) | |||
| 1990-1992 |
| 48 | (22) | |||
| 1992-1994 |
| 64 | (39) | |||
| 1994-1997 |
| 100 | (50) | |||
| 1997-1998 |
| 32 | (14) | |||
| 1998-1999 |
| 31 | (12) | |||
| 1999-2001 |
| 33 | (4) | |||
| 2001-2002 |
| 26 | (9) | |||
| 通算 | 404 | (177) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1996-1998 |
| 6 | (2) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
アント・ドロブニャク(Anto Drobnjak、1968年9月21日 - )は、ユーゴスラビア(現・モンテネグロ)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。
選手時代
ユーゴスラビア1部リーグのFKブドゥチノスト・ポドゴリツァ(現在はモンテネグロリーグ所属)でストライカーとして頭角を現し、名門レッドスター・ベオグラードに移籍した1992-93シーズンには22ゴールを挙げてユーゴスラビアリーグ得点王を獲得。
1994年からは活躍の舞台を国外に移し、フランス1部リーグのSCバスティアへ移籍。ここでも長身を生かしたプレーと柔らかな足技で得点を量産し、当時のユーゴスラビア代表にも招集される。RCランス在籍時の1997-98シーズンにはポストプレーヤーとしてフランスリーグ優勝に大きく貢献した。
1998年、バスティアの監督であったフレデリック・アントネッティからの日本行きの誘いを受けてJリーグ・ガンバ大阪に完全移籍で加入。同年にセリエAのカリアリ・カルチョに移籍したパトリック・エムボマの後釜として期待された。1998年7月29日のヴェルディ川崎戦でJリーグ初ゴールを決め[1]、18試合8ゴールと[1]まずまずの成績を残した。翌1999年8月8日の横浜F・マリノス戦ではハットトリックを決めたが[2]、13試合4ゴールに終わり、1stステージ終了後に退団した。
その後はフランスへ戻り、主に2部リーグでプレーした。現役最後のクラブとなったFCマルティーグではガンバ大阪時代の同僚であるクロード・ダンブリーと再びチームメイトになったりもした。
内戦後は分裂していく祖国の中で旧ユーゴスラビアから、新ユーゴ、セルビア・モンテネグロ、モンテネグロと国籍を変えることになった。
現役引退後
2006年には古巣のブドゥチノストでスポーツディレクターに就任した。2011年からはブランコ・ブルノヴィッチ監督の下で、モンテネグロ代表のコーチを務めた。
所属クラブ
- 1986年 - 1990年
FKイェディンストヴォ・ビイェロ・ポリェ - 1990年 - 1992年
FKブドゥチノスト・ポドゴリツァ - 1992年 - 1994年
レッドスター・ベオグラード - 1994年 - 1997年
SCバスティア - 1997年 - 1998年
RCランス - 1998年 - 1999年
ガンバ大阪 - 1999年 - 2001年
FCソショー - 2001年 - 2002年
FCマルティーグ
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ユーゴスラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1986-87 | イェディンストヴォ | ユーゴ3部 | 5 | 0 | |||||||
| 1987-88 | 24 | 7 | |||||||||
| 1988-89 | 14 | 1 | |||||||||
| 1989-90 | 27 | 19 | |||||||||
| 1990-91 | ブドゥチノスト | プルヴァ | 31 | 13 | |||||||
| 1991-92 | 17 | 9 | |||||||||
| 1992-93 | レッドスター | プルヴァ | 35 | 22 | |||||||
| 1993-94 | 29 | 17 | |||||||||
| フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
| 1994-95 | バスティア | リーグ・アン | 31 | 12 | |||||||
| 1995-96 | 36 | 20 | |||||||||
| 1996-97 | 33 | 18 | |||||||||
| 1997-98 | ランス | 32 | 14 | ||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | G大阪 | 9 | J | 18 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 19 | 8 |
| 1999 | J1 | 13 | 4 | 2 | 1 | - | 15 | 5 | |||
| フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999-00 | ソショー | リーグ・ドゥ | 18 | 3 | |||||||
| 2000-01 | 14 | 1 | |||||||||
| 2001-02 | リーグ・アン | 1 | 0 | ||||||||
| マルティーグ | リーグ・ドゥ | 26 | 9 | ||||||||
| 通算 | ユーゴスラビア | プルヴァ | 112 | 61 | |||||||
| ユーゴスラビア | 3部 | 70 | 27 | ||||||||
| フランス | アン | 133 | 64 | ||||||||
| フランス | ドゥ | 58 | 13 | ||||||||
| 日本 | J1 | 31 | 12 | 2 | 1 | 1 | 0 | 34 | 13 | ||
| 総通算 | 332 | 139 | |||||||||
代表歴
個人タイトル
- 1992-1993 ユーゴスラビア・プルヴァ・リーガ得点王
指導歴
- 2006年 - 2011年
FKブドゥチノスト・ポドゴリツァ:スポーツディレクター - 2011年 - 2015年
モンテネグロ代表:コーチ - 2021年 -
FKコム・ポドゴリツァ