アンノボン共和国
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植民地時代
1471年1月にポルトガル人によって発見され、当初は無人であったものの奴隷貿易の中継地点として用いられ、1474年には植民地化された。
1778年、ポルトガルはブラジル統治の承認の代わりに、赤道ギニアを含むポルトガルのアフリカ植民地はスペインに移管(エル・バルド条約)され、スペイン領ギニアが成立した。
1963年には自治政府が成立し、1968年にはスペインから独立した赤道ギニアの一部となった。
独立運動
1970年代に島内ではコレラが流行したが政府は治療を講じず、アンノボン島を隔離したため、島民には分離主義を唱える者が出始めた。さらに1988年には英国企業と赤道ギニア政府の間で放射性廃棄物をアンノボン島に投棄する契約が締結され、他の企業とも同様の契約が結ばれるなど政府の不信感が増した。
また1993年に発生したとされる飢饉では、政府が人道支援を行っていた外国人を追放したことにより、島民が反乱を起こし知事の邸宅を襲撃した。
2021年には独立運動が激化し、数度にわたり開催された島民の総会では自治権を要求する決議を政府に提出した[1]。
2022年7月8日には、決議に対する政府の応答がなかったためアンノボン共和国として独立を宣言し、のちに代表なき国家民族機構へ加盟した。。
2025年5月、アンノボン共和国政府はアルゼンチンへの州としての編入を請願した。大統領はアルゼンチンとアンノボンの両地域がリオ・デ・ラ・プラタ副王領に属していたために請願したのだとし、双方を「兄弟国」と位置付けた[5][6]。これに対しブエノスアイレスのメディアEL NORTHは、アルゼンチン議会では人道支援団を派遣する可能性を議論していると報道した[6]。
政府
地理
文化
行政区画
- サンアントニオ・デ・パレ
- Mabana
- Awal
- Anganchi

