アンリ・フェール
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アンリ・フェール | |
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| Henri Fehr | |
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1932年国際数学者会議の集合写真より、
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| 生誕 |
1870年2月2日 チューリッヒ |
| 死没 |
1954年11月2日(84歳没) ジュネーヴ |
| 研究機関 | ジュネーヴ大学 |
| 出身校 | |
| 博士論文 | Application de la Méthode Vectorielle de Grassmann à la Géométrie Infinitésimale (1899) |
| プロジェクト:人物伝 | |
アンリ・フェール(Henri Fehr、1870年2月2日 – 1954年11月2日 )はスイスの数学者である。国内・国際の学会と雑誌の創設および調整において重要な役割を果たした。ジュネーヴ大学で学部長と学長を務めた。また1924年から1932年まで国際数学連合の副総裁であった。
Heinrich Fehr と Lina Scheller の間に生まれた[1]。スイスとフランスの大学で学問を修めた。1899年、ジュネーヴ大学で微分幾何学に関する論文 Application de la Méthode Vectorielle de Grassmann à la Géométrie Infinitésimale を執筆して博士号を取得した[2]。1910年6, 7月、ルドルフ・フュエテールとマルセル・グロスマンとともにスイス数学会 (SMG あるいは SMS) の設立を訴え、1911年から副会長、1912年から1913年まで会長を務めた[3]。フェールは、スイスの数学教育に関する700頁の報告書を作成し、これは SMG の数理科学振興財団の基盤となった。また、フェールは会の編集・財政委員会の一員であり、国からの補助金と購読金からの収入を会に確保した。SMG の後援を受けてフェールは学術雑誌 Commentarii Mathematici Helvetici と、(レザンとともに)教育雑誌 L'Enseignement mathématique を創刊した[4]。
学術・国際活動
フェールはジュネーヴ大学で生涯を過ごした。幾何学と代数学の教授、学部長、副学長、学長を歴任した。教育者としてフェールは 数学教育と教師育成の社会的側面を支持した。1908年の設立から1954年に歿するまで、国際数学教育委員会 (ICMI) の事務局長を務めた。また5年の間 L’Enseignement mathématique の編集を務めた。1952年にICMIの名誉会長に選ばれた[3]。1904年にハイデルベルク[5]、1908年にローマ、1912年にケンブリッジ[6]、1924年にトロント[7]、1932年にチューリッヒで開催された国際数学者会議に招待され講演を行った。
1928年6月、イタリア数学連合の事務を務めていたエットーレ・ボルトロッティから、IMU事務のガブリエル・ケーニクがボローニャ会議への招待に対して不服を述べていることについて、IMU副総裁及びICMI事務局長として相談を受けた。ボルトロッティの手紙は、ドイツによるボイコットの危険性や正式な抗議があったにも関わらず、フェールの確固たる国際協調主義によって、数学者が「sans distinction de nationalité」(国籍に関係なく)招待されたことを明確に示している[8]。