アーロン・ローワンド

アメリカの野球選手 (1977 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

アーロン・ライアン・ローワンド(Aaron Ryan Rowand, 1977年8月29日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身の元プロ野球選手外野手中堅手)、右投右打。

生年月日 (1977-08-29) 1977年8月29日(48歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
アーロン・ローワンド
Aaron Rowand
ジャイアンツ時代(2008年8月4日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 オレゴン州ポートランド
生年月日 (1977-08-29) 1977年8月29日(48歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手中堅手
プロ入り 1998年 MLBドラフト1巡目(全体35位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名
初出場 2001年6月16日 カージナルス
最終出場 2011年8月30日
年俸 $13,600,000(2011年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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ホワイトソックス時代(左、2005年)とフィリーズ時代(右、2007年) ホワイトソックス時代(左、2005年)とフィリーズ時代(右、2007年)
ホワイトソックス時代(左、2005年)とフィリーズ時代(右、2007年)

いとこジェームズ・シールズも野球選手。

経歴

アマチュア時代

1995年カリフォルニア州のグレンドーラ高校を卒業。ドラフトニューヨーク・メッツから40巡目(全体1,113位)指名を受けるが、入団せずにカリフォルニア州立大学フラトン校へ進学する。

1998年打率.372・16本塁打・72打点・15盗塁という成績を残したローワンドは、ビッグ・ウェスト・カンファレンスのファーストチームに選ばれる。

プロ入りとマイナー時代とホワイトソックス時代

1998年のMLBドラフトシカゴ・ホワイトソックスから1巡目(全体35位)指名されたローワンドはプロ入りする。

2001年に、メジャーデビューを果たし、この年は打率.293を記録。

2002年は、当初は守備固めでの出場が多かったが、7月末 - 8月初頭から中堅手として先発するようになった。しかしこの年の11月にローワンドはオートバイ事故を起こし、左肩甲骨や左右の肋骨を折る怪我を負う。手術を経て回復した。

2003年は、最初の23試合で打率.133と低迷しマイナーに降格される。6月10日にメジャーへ復帰したが、出場は主に守備固めでのものだった。

2004年は再び中堅のレギュラーになる。5月中頃には打率が.212まで落ち込んだがその後復調し、シーズン通算で打率.310・24本塁打・69打点・17盗塁と自己最高を記録。長打率.544はリーグ7位だった。

2005年は自己最高の157試合に出場し成績が軒並みダウンしたが、ホワイトソックスは88年ぶりにワールドシリーズで優勝した。

フィリーズ時代

2005年11月に、ジム・トーミらとのトレードでローワンドはフィラデルフィア・フィリーズに移籍した。ローワンドにとってこのトレードは衝撃だったらしく「ショックで何も考えられない。ドラフトからデビューまでシカゴ一筋だったから、ビジネスと分かっていても僕の心はシカゴのままだ。本当にショックだ」[2]と語っている。移籍初年度の2006年は、5月11日のメッツ戦で打球をダイビングキャッチした際にフェンスに顔から激突し、鼻の骨を折る怪我を負った。5月27日に復帰したが、今度は8月21日のカブス戦で二塁手チェイス・アトリーと衝突し左のかかとを骨折、そのままシーズンを終えた。

2007年は打率.309・27本塁打・89打点と自己最高の成績を残し、また守備でも自身初のゴールドグラブ賞を受賞している。シーズン終了後にローワンドはFAとなった。当初は古巣ホワイトソックスへの復帰が有力視されていたが、ホワイトソックスがFA外野手の中ではローワンドよりもトリー・ハンターに強い関心を抱いていたことや、ホワイトソックスが4年を超える複数年契約を渋ったのに対してローワンド側が5年以上の長期契約を求めていたことなどから、交渉は難航[3]。結局ホワイトソックスとの交渉は決裂となった。

ジャイアンツ時代

2007年12月12日、に5年6,000万ドルでサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ。[4]

2008年は6月2日時点で打率.342と好調だったが、その後は調子を落とし、後半戦は打率.242、5本塁打、OPS.665を喫した。

2009年は前半戦は打率.288、9本塁打、OPS.806の成績を残し、7月10日のサンディエゴ・パドレス戦では9回1死に大飛球を好捕してジョナサン・サンチェスノーヒットノーランをアシストした。後半戦は腰の故障の影響もあり、打率.218、6本塁打、OPS.629に終わる。

2010年は開幕直後に頭部への死球を受け頬を骨折。先発出場は76試合に終わった。

2011年は8月まで108試合の出場で打率.233、4本塁打、OPS.621を喫し、9月8日に解雇された。[5]

12月12日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。しかし、3月29日に解雇された。

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
2001 CWS 631481232136504532051511504282.293.385.431.816
2002 126331302417816271192901921216548.258.298.394.692
2003 93170157224580671240021703211.287.327.452.779
2004 1405344879415138224265691755230110915.310.361.544.905
2005 157640578771563051323569165543232111617.270.329.407.736
2006 PHI 10944540559106243121724710422182187613.262.321.425.746
2007 161684612105189450273158963244731911918.309.374.515.889
2008 SF 15261154957149370132257024044471412621.271.339.410.749
2009 14454649961130302152096441033021412512.261.319.419.738
2010 10535733142761221112534531116387411.230.281.378.659
2011 108351331347722241152123011019846.233.274.347.621
通算:11年 13584817437461311932671813619045366730312526123126914114.273.330.435.765
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表彰

脚注

外部リンク

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