ブハーリーの真正集によるムハンマドとアーイシャとの結婚時のアーイシャの年齢は、現代では非イスラーム圏でもよく知られるようになっている。非イスラーム世界の人間の中には、預言者ムハンマドを児童性暴力者、チャイルド・マレスター と非難する人間も少なくない[ 6] [ 7] 。とりわけ反イスラーム主義者はこの事に関して強くムハンマドを非難している。例えばオランダの反イスラーム主義 者のヒルスィ・アリ (Hirsi Ali)は、「自分が53歳のときに6歳の女の子と結婚し、9歳のときに結婚を完成させた変態」(“a pervert” for marrying a six-year-old girl, Aisha, when he was 53, and consummating the marriage when she was nine)と預言者ムハンマドを批判している[ 8] 。
前近代の人類社会では有力家系の子女が10歳前後で結婚することはありふれており、このこと自体は歴史的事実として確認されている(たとえば徳川家康 の孫である千姫 は7歳で豊臣秀吉 の子の豊臣秀頼 と結婚している。秀頼は当時11歳)。その場合は結婚してもおおよそ初潮 後の適齢になるまで性行為は行わないのが通例であった。 [ 要出典 ] 秀吉・家康と同世代の戦国大名 である北条氏政 は、17歳の時に武田信玄 の娘で12歳の黄梅院 と結婚しているが、黄梅院は翌年に第1子を出産している[ 9] 。なお、秀頼・千姫・氏政・黄梅院の年齢はすべて数え年 で、満年齢 だと1歳ほど下になる。インドのイスラーム学者マウラナ・ムハンマド・アリー はアーイシャがムハンマドと初夜を迎えた年齢は15歳であったと主張している[ 10] 。また、イギリスのジャーナリストであるカレン・アームストロング も、アーイシャがムハンマドと初夜を迎えた年齢について「どの少女も嫁がされる思春期に達してからであったことに疑いの余地はない」と記している[ 11] 。なお、ムハンマドの生涯で12人にのぼる妻のうち、ほとんどは寡婦であった、
古典イスラーム法上の結婚最低年齢にはいくつかの説がある。
通常の解釈に従えば、ブハーリーのハディースによるところの、預言者ムハンマドと結婚し、初性交を行ったときのアーイシャの年齢に基づき、少なくとも結婚に関しては9歳である。そのため現代の観点では女児に対する性的虐待 であるとみなされる性行為も、結婚の上なら合法とされ、問題視されなかった。現代でもイランやサウジアラビアなどイスラーム世界のごく一部の国では、イスラーム法上の結婚最低年齢をそのまま施行しており、国際的な批判を浴びている。サウジでは親の借金のかたとして8歳の少女が結婚させられた事例がある[ 12] 。ただし、この場合裁判官は上記のイスラーム法で定められた年齢までは性行為を行わないよう夫に求めている[ 13] 。
上に挙げたイエメンのように、結婚最低年齢を定めない国もある。反イスラーム主義者の中には、このことを取り上げてイスラームは児童性愛・児童性的虐待を認める宗教と批判する人間も存在している[ 14] 。
現代のイスラーム教国のほとんどの法律では女性の結婚最低年齢や法的同意年齢は医学的な性的成熟を踏まえたものであり、15歳から18歳程度であって非イスラーム諸国と変わらない。また当該国のイスラーム法学者の多数派の解釈もこのような法律を支持しており、古典イスラーム法に基づく9歳からの結婚・性行為の合法化を求めている人間は、きわめて少数派である[ 15] [ 16] 。イランやサウジアラビアのような古典イスラーム法による結婚最低年齢を施行する国でも、実際はほとんどの人間は二十歳を過ぎて男女とも結婚している。このような事実を無視して、例の少ない事例を見つけ出してイスラーム全体とみなすのは不適切であるという意見もある。