イブン・アルアアラム
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イブン・アルアアラム | |
|---|---|
| 死没 | 985年 |
| 研究分野 | 天文学 |
| 主な業績 |
『アドゥド天文表』 (al-Zīj al-ʿAḍudī) |
| プロジェクト:人物伝 | |
イブン・アル=アアラム・アブルカーシム・アリー・イブン・アル=フサイン・アル=アラウィー・アル=シャリーフ・アル=フサイニーアラビア語: ابن الأعلم أبو القاسم علي بن الحسين العلوي الشريف الحسيني, ラテン文字転写: Ibn al-Aʿlam Abū al-Qāsim ʿAlī ibn al-Ḥusayn al-ʿAlawī al-Sharīf al-Ḥusaynī[1]、? - 985年[2])はイブン・アルアアラム[3](アラビア語: ابن الأعلم, ラテン文字転写: Ibn al-Aʿlam)、ギリシア語ではアリム(‘Αλημ)として知られ、10世紀にバグダードで活躍したとされる天文学者、占星術師である[2][4]。天文便覧(ズィージュ)の著者として有名である[5]。
ズィージュ
イブン・アルアアラムが編纂したズィージュは、『アドゥド天文表』と呼ばれるが、この題名はイブン・アルアアラムを援助した君主アドゥド・アッダウラの名前に拠っている[5][7]。別名『シャリーフ天文表』(al‐Zīj al‐Sharīf)、あるいは『バグダード天文表』(al‐Zīj al‐Baghdādī)ともいわれ、シャリーフはイブン・アルアアラムの名前から、バグダードはその活動拠点から付いたと考えられる[5]。
『アドゥド天文表』は現存せず、同時代や後世の文献に引用、参照されたところからしか、内容を知ることができない[7][2]。しかし、『アドゥド天文表』に言及する文献はアラビア語、ペルシア語、ギリシア語に多数存在し、そこからかなりの情報が拾集されている[5][2]。
『アドゥド天文表』は、成立から2世紀が過ぎたキフティーの時代でも、たいへん重要視されていたとある[4]。その後、ナスィールッディーン・トゥースィーらが『イルハン天文表』を編纂するにあたって、観測期間の不足を補うために頼りにしたのが、イブン・ユーヌスの『ハーキム大天文表』と、『アドゥド天文表』であり、トゥースィーはこの2書が最も信頼すべきものとしている[5][3][4]。更に後、14世紀に成立したズィージュでも、惑星の位置、惑星運動のずれ、遠地点などで『アドゥド天文表』の値が健在であった[5][8]。
『アドゥド天文表』は、東ローマ帝国の天文学にも影響を与えたと考えられる[5]。11世紀に著された『アルマゲスト』の註釈には、アリムの天文表から太陽の平均運動などの情報が適用され、12世紀にマヌエル1世コムネノスのために作られたホロスコープも、アリムの天文表を基に計算されているが、このアリムはイブン・アルアアラムのことだと判明している[9][2]。
評価
イブン・アルアアラムとほぼ同時代で、特に優れた天文学者の一人とされるイブン・ユーヌスは、『ハーキム大天文表』の中でイブン・アルアアラムに言及しており、その知識の豊富さ、観測の周到さに賛辞を送っている[4][2]。そして、太陽の平均運動や歳差の変化率などについて、イブン・アルアアラムの値を自らの著作にもとり入れている[5][2]。
11世紀の大学者ビールーニーも著作の中で『アドゥド天文表』について言及しているが、『アルマゲスト』との比較で惑星運動のずれが異なる点に注意を喚起している[2][7]。
また、12世紀の学者バイハキーは、イブン・アルアアラムのズィージュによる火星の位置が、ほかのどれよりも正確だというのが幾何学者たちの見解の一致するところだ、と述べている[4]。
イブン・ユーヌスの記述では、イブン・アルアアラムは自ら観測機器を作って観測施設を整え、綿密な観測を行っていたことがうかがえる[4][5]。一方で現代の分析からは、『アドゥド天文表』がイブン・アルアアラム自身の観測よりも、先行する観測の再検証と統合に、より大きく依拠して成立したものだとする説が出ている[5]。