イヴェット・ショヴィレ
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10歳でパリ・オペラ座バレエ学校に入り、ボリス・クニアセフとヴィクトール・グソフスキーに師事[4]。その後セルジュ・リファールに学び、以後もそのキャリアを通じて指導と助言を受け続けた[4]。1929年に『ジャンヌの扇』で初めてソロを踊り、1934年にパリ・オペラ座のコール・ド・バレエとなった。
その後間もなくカドリーユとなり、翌1935年1月にコリフェに昇進。1936年にリファールの『裸の王様』を初演し、スジェに昇進した1937年には映画『白鳥の死』に出演[4]。翌1938年にプルミエ・ダンスールとなり、1941年12月にリファールが彼女のために振付けた『イシュタル』の初演後に、エトワールに任命された[4]。
ショヴィレはほとんどの古典作品で重要な役柄を踊ったが、『ジゼル』のタイトルロールが最も代表的な作品である[4][5]。また、彼女はオペラ座のエトワールでありながら、恩師のボリス・クニアセフとのコラボレーションも継続し、『La Legende du Bouleau』や『Piccolo』のような新作も発表した。リファール作品も、『白の組曲』(1943年)、『音楽劇』(1946年)など、数多くを初演している[6]。
1946年にリファールが政治的な理由でオペラ座を追われると、ショヴィレも彼に従い、同年から1947年にかけてモナコの新モンテ・カルロバレエ団で踊った[4]。1947年オペラ座に復帰し、リファールの『ミラージュ』を初演して大成功をおさめる[4]。1949年、ヴィクトール・グゾフスキーの『グラン・パ・クラシック』を初演した後再びオペラ座を離れ[4]、ミラノ・スカラ座に移る。数年後、彼女は英国ロイヤルバレエに招かれ、ルドルフ・ヌレエフと踊った後パリに戻った。
1955年、ジョン・クランコの『美しきエレーヌ』を初演、1957年には、グゾフスキーがベルリン・バレエで初演した『椿姫』で、マルグリットを演じた[4]。
1972年、当たり役の『ジゼル』『瀕死の白鳥』を踊ってオペラ座を引退[4][5]。その後はオペラ座バレエ学校[4]、パリ国際ダンス・アカデミー校長などをつとめ[4]、シルヴィ・ギエム、モニク・ルディエール、マリー=クロード・ピエトラガラ、エリザベット・モーラン、イザベル・ゲラン、ドミニク・カルフーニといったエトワールに自らの知識を伝えた。時折舞台にも出演し、1985年にはヌレエフ版『ロミオとジュリエット』で、キャピュレット夫人を演じた[4]。また、彼女はミラノ・スカラ座での『ジゼル』の再演の際には振付も手がけた。1998年には、80歳記念ガラが盛大に挙行された[5]。
今日では、彼女はフランスで最も偉大なバレリーナの一人と考えられており、プリマ・バレリーナ・アッソルータの称号を贈られた数少ないエトワール・ダンサーの一人でもある[7]。
ショヴィレは、優れた画家でありオペラ座の舞台芸術も手がけたコンスタンチン・ネポ(1915年 - 1976年)と結婚した。
叙勲
- 1988 : レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)
- 2010 : レジオンドヌール勲章(グラントフィシエ)[8]
- メリット勲章
- 芸術文化勲章(コマンドゥール)
