ウィニペグ交響楽団
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1947年に設立され、ウィニペグ中心部に位置するセンテニアル・コンサートホールを本拠地としている。年間を通じてクラシック音楽の定期演奏会のほか、ポップス、教育プログラム、そして現代音楽を発信する「ウィニペグ・ニュー・ミュージック・フェスティバル」を毎年開催している。また、ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団およびマニトバ・オペラの演奏も受け持っている[1]。
沿革
1947年に設立され[2]、1948年に初の演奏会が開催された[1]。初代音楽監督にはウォルター・カウフマンが就任し、1949年からはCBCによるラジオ放送が開始された。1958年、ヴィクター・フェルドブリルが音楽監督に就任。楽団はフルタイムのプロ・オーケストラとしての地位を確立し、カナダ人の作曲家マレイ・アダスキン、ジョン・ベックウィズ、ハリー・フリードマンらの作品を積極的に紹介した[3]。1968年、楽団は新築されたセンテニアル・コンサートホールへ本拠地を移し、聴衆層を拡大するための試みとして、ロックバンドのゲス・フーとの共演を実現させる[4]。1971年から音楽監督を務めたピエロ・ガンバは、北米各地へのツアーやカーネギー・ホールでガラ・コンサートを成功させるなど、楽団の演奏水準と都市の文化的プレゼンスを向上させた[3]。しかし、芸術的な成功の裏で楽団は財政危機に陥る[2]。その後、組織再編が行われ、新しい理事会が設立。1983年に小泉和裕が音楽監督に就任し、後期ロマン派の作品や大規模な合唱作品を取り上げ、定期会員数が増加、楽団は芸術的な秩序と組織的な安定を取り戻した[3]。
1989年、小泉の後を継いでブラムウェル・トーヴェイが音楽監督に就任。1992年には、現代音楽に特化した「ウィニペグ・ニュー・ミュージック・フェスティバル」を創設する。フィリップ・グラス、アルヴォ・ペルト、メレディス・モンク、ジョーン・タワーといった国際的な作曲家たちが次々と参加、多くの観客を集め成功を収めた[1][5]。しかし、トーヴェイの任期後半、楽団は再び財政的な困難に直面し、アンドレイ・ボレイコの時代まで試練は続いた。2006年から音楽監督を務めたアレクサンダー・ミッケルスウェイトと、エグゼクティブ・ディレクターに任命されたデイル・ロニスの尽力により、経営状況は改善される[3]。2018年からダニエル・ライスキンが音楽監督を務める。