ウクライナ国立歌劇場
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ウクライナ国立オペラ・バレエ劇場の舞台 | |
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| 概要 | |
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| 所在地 |
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| 座標 | 北緯50度26分48秒 東経30度30分45秒 / 北緯50.446667度 東経30.5125度 |
| 所有者 | Metropolitan Opera Association |
| 種類 | オペラハウス |
| 座席数 | 1304[1] |
| 建設 | |
| 開業 | 1867年 |
| 設計者 | シュレーター・ビクター・アレクサンドロヴィッチ |
| ウェブサイト | |
| 公式サイト | |
タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立学術オペラ・バレエ劇場(ウクライナ語: Національний академічний театр опери та балету України імені Тараса Шевченка、英語: National Opera of Ukraine)は、ウクライナの首都キーウにある名門歌劇場。通称はウクライナ国立歌劇場(キーウ・オペラ)、日本では長らくキエフ・オペラの名で親しまれてきた[2]。ウクライナ国立歌劇場管弦楽団およびウクライナ国立バレエの本拠地である。
立地と愛称

現在の歌劇場は1901年に完成。設計者はヴィクトル・シュレーター。 1867年にフェルディナント・ベルガー(Ferdinand Berger)が歌劇場を設立。当初は1856年建設の建物を用いていたが、1896年に火災により焼失したため、1901年にヴィクトル・シュレーターの設計によりネオルネサンス様式の現在の歌劇場が建設された[3]。
外観の彫刻装飾はイタリアの彫刻家エリオ・サラが手がけ、正面入口の上にはミューズや翼を持つグリフォンの彫刻が配置されている[3]。客席は5層構造で、収容人数は1,312席である[3]。近年ではウクライナ国内の国公立劇場の中で最高の年間収益(2025年データで4億500万フリヴニャ)を上げるなど、同国を代表する芸術拠点となっている[4]。
劇場はキーウの中心部、ヴォロディームィル通りとボフダン・フメリニツキー通りの交差点に位置し、聖ソフィア大聖堂とタラス・シェフチェンコ記念国立大学のちょうど中間に位置している。その美しい建築から「ミューズの神殿」とも呼ばれている[1]
歴史
建築初期の歴史
現在の歌劇場が建設される以前、キーウには1856年に建築家イヴァン・シュトロムの設計により建設された市立劇場が存在していた 。この劇場は、モスクワとサンクトペテルブルクの劇場に次ぐ、ロシア帝国で3番目の常設劇場であった。座席数は849席とこぢんまりとしており、市民から深く愛されていた。しかし1896年2月、チャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』の朝の公演後に楽屋の1つから出火し、建物はわずか数時間で全焼した。この火災によって、ロシア帝国屈指の音楽図書館の1つや、多くの演目の衣装、舞台美術も灰燼に帰してしまった。市民は新しい劇場の早期建設を市当局に強く要求し、これが国際コンペティションと現在の建物の建設へと繋がっていった[1]。
20世紀 初期
コンペティション
火災後、市民の強い要望によりキーウ市議会はキーウの歌劇場の新しい建物を設計するための国際コンペティションが開催され、約30名の建築家の中から優勝した提案はヴィクトル・シュレーターによるものだった[1]。外観はネオルネサンス様式で設計され、俳優と観客の要望を考慮していた。
建設工事
建設は1898年8月から市の建築家オレクサンドル・クリヴォシェイエフらによって監督された[3]。300〜500人の労働者と60頭の馬が動員される大工事となり、1901年に完成したが、設計者のシュレーターは開場の数ヶ月前に亡くなっている[1]。
内装は古典的なスタイルに再設計され、ウィーンモダンと呼ばれている。しかし、最大の功績は舞台であると考えられている。これは、当時の最新の技術水準に基づいて設計されたヨーロッパ最大の建築物の1つであった。


20世紀の最初の10年間、キエフ歌劇場は、O. Petlyash、P. Tsecevich、K. Voronets、M. Medvedev、K. Brun、O. Mosin、O. Kamionskyなどの最も優れたウクライナとロシアの歌手を魅了した。

キーウが成長し始め、第一次世界大戦が終結すると、キエフ歌劇場はソ連と世界で特別な場所を占めた。キエフ歌劇場は、ウクライナとロシアで最も有名な劇場の1つと見なされていた。クルト・アドラー(Kurt Adler)は1933年から1935年まで首席指揮者を務めた。
1981年、キエフ大公妃・聖オリガの生涯を題材にしたバレエの世界初演がキエフ・バレエ(現・ウクライナ国立バレエ)により、市の1500周年を記念して行われた[5]。また近年では、2022年12月より同劇場の歴史で初めて日本出身の寺田宜弘がウクライナ国立バレエの芸術監督に就任し、戦禍の困難な状況下においても国内外で精力的に公演活動を継続している[6]。
建築と設備
外観と装飾の変更

建物の屋上には当初、キーウの守護聖人である大天使ミカエルの紋章が置かれる予定であったが、聖職者側から「罪深い施設に聖なる戦士を置くべきではない」との反発を受けた[1] 。そのため、音楽芸術を象徴する竪琴を持つグリフォンの像に変更された[1]。また、かつてファサードにはミハイル・グリンカとアレクサンドル・セーロフの胸像も飾られていたが、1934年の改修時に撤去されている[1]。
豪華な内装
内部はベネチアンミラー、金メッキ、青銅、壁や天井の模様入り漆喰、大理石の階段、モザイクの床などで豪華に装飾されている[1]。建設当時の舞台と客席:完成当時の舞台はロシア帝国で最大規模(幅34.3m、奥行き17.2m、高さ22.7m)を誇り、蒸気暖房や空調も完備され、音響の良さも絶賛されていた[1]。当時の総座席数は1,650席であった[1]。
現在の設備
1980年代の改修で舞台はさらに拡張され(奥行き20m、高さ27m)、総面積は824平方メートルとなった[1] 。古いオルガンはチェコ製の新しいものに交換され、オーケストラピットは100人の音楽家を収容できるよう拡張されている[1]。なお、改修後の現在の客席数は1,304席となっている[1]
