ウリオール・ブイガス
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1925年にバルセロナで生まれる。1951年にバルセロナ建築学校を卒業した。建築家として活動する傍ら、バルセロナ建築学校教授、同校長を務める(1980年まで)。1980年から1984年にかけてバルセロナ市の都市計画局長を務め、バルセロナの都市再生を進めた。ブイガスの手法は「バルセロナ・モデル」と呼ばれ、都市計画分野で有名である。
1992年のバルセロナオリンピックに際しては、主会場となるムンジュイックを整備し、湾岸沿いの工場跡地を選手村とする全体計画を立てた。選手村の施設には中堅の建築家を多く起用した。オリンピック後、選手村は集合住宅地として整備され、荒廃していた海岸は市民が憩う白砂のビーチとなった[1]。
この他に1992年に開催されたセビリア万国博覧会の「フューチャーパビリオン」などを設計した。2015年からパーキンソン病を患い、2021年に死去した。
バルセロナ・モデル
都市再生を目指す公共空間政策として世界的に知られている。20世紀のバルセロナでは郊外の無秩序な開発が進み、密集した地域が多く生まれていた。旧市街地の老朽化も深刻であった。ブイガスは都市に点在する公園・広場の整備を通してその周辺環境に刺激を与え、ネットワークでつなぐことによって都市全体の再生を目指した。単に広場や公園の整備が目的ではなく、広場に面した建物の所有者が建物をリフォームすることや、新たに店舗が出来ることで人の流れが変わる、といった好循環を生み、効果を波及させてゆくことが狙いであった。スクラップアンドビルドによる大規模開発よりも、部分から改善を始めることを優先した。いくつか事例を挙げる。
- トリリャ広場(Plaça de Trilla) - グラシア通り沿いにある間口15メートルほどのスペースだが、違法駐車の自動車にふさがれ、不衛生な状態だった。自動車を排除し、9本のヤシの木を植えて、ベンチを置いたところ、近隣住民が集まる憩いの場となった。これが公共空間政策の原点になったという[2]。
- レイアール広場(Plaça Reial) - ガウディ設計の街灯があることでも知られる旧市街の歴史ある広場。アクセスが悪く、1980年当時は麻薬取引の場になるなど治安が悪化していた。ブイガスは自ら広場に面した住宅に引越し、再生に取り組んだ[3]。広場沿いにホテルが開業し、レストランやカフェが並ぶ観光名所となっている。
- 過密な旧市街では、角地等にある老朽化した建物を収用事業で撤去し、小広場にする事業を行った。密集した地区に公共空間を確保することで、通風や採光の確保を図った。ブイガスは「旧市街のスポンジ化(多孔質化)」と称した[4]。
- クレウエタ・デル・コル公園(Parc de la Creueta del Coll) - グエル公園の北西付近、密集する郊外住宅地に整備した公園。有名な前衛作家のパブリックアートを設置することで評判を呼んだ。ブイガスは「郊外のモニュメント化」と称したが、著名な芸術家を起用して話題になることも狙っていた[5]。
こうした公共空間政策は後任のブスケッツ(Joan Busquets)らに引き継がれた。(ラバル地区の整備、22@BCN[6]等)
著作
- 「モデルニスモ」(カタルーニャ版アールヌーヴォー)の建築について定評のある概説書。サグラダ・ファミリアについて、ガウディの逝去後も「ガウディの遺志」と称して建設が続けられていることを批判している。
