サグラダ・ファミリア
スペインにあるカトリック教会
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概要
カタルーニャの建築家アントニ・ガウディの遺作であり、モデルニスモ(バルセロナの世紀末様式)の建築として知られている。
1882年、ビリャールの設計によるネオ・ゴシック様式の教会堂が着工し、翌年、ガウディが設計を引き継いだ。生前のガウディが実現できたのは地下聖堂と生誕のファサードなど、全体の4分の1未満である。ガウディ没後100年に当たる2026年時点で、北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、イエスの受難を表す西ファサードや内陣、身廊などはほぼ完成したが、イエスの栄光を表すメインファサードと4基の塔が未完成である(全塔の中で最も高いイエスの塔は2026年6月10日までに完成、歴史と展望の節を参照)。
贖罪教会であったため、資金調達は信者の喜捨に頼ってきた。資金不足により工事がなかなか進まなかったが、1990年代以降に拝観料収入が増えて資金状況が好転した。2019年には470万人の観光客を集め[2]、2004年の統計によると、集客数でアルハンブラ宮殿やプラド美術館を抜いている[3]。
日本人彫刻家の外尾悦郎が1978年から従事しており、2013年からは主任彫刻家として全体を取り仕切っている[4]。外尾は後述のスビラックスによる個性的な造形には批判的である。
ガウディが制作した地下聖堂と生誕のファサードは、2005年に「アントニ・ガウディの作品群」を構成する物件としてユネスコの世界文化遺産に登録された。
構成
平面は基本的に前任者ビリャールの計画をふまえており、伝統的なカトリック教会の形式に沿ったラテン十字プランである。ビリャールの計画では三廊式であったが、五廊式に拡張されている[注 1]。ガウディはバットレスでアーチ構造を補強するゴシック建築を不完全なものとみなし、カテナリー曲線のアーチ構造を採用している。身廊には樹木を象った柱が建ち並び、ステンドグラスからの光が降り注ぐ。
外観を特徴付けるのは林立する高い塔で、完成時には18基(前述のとおり4基は未完成)となる。18基のうち12基は十二使徒、4基が福音書記者、1基が聖母マリア、1基がイエス・キリストを象徴するものとされている[5]。
文字を読めない信者のために聖書の内容が理解できるよう、聖書のエピソードを題材とした彫刻が建物の外壁に飾られる[6]。
東側の生誕のファサードはガウディ存命中に完成、そこでは、イエスの誕生から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されている。3つの門によって構成され、左門が父ヨセフ、中央門がイエス、右門が母マリアを象徴する。中央の門を構成する柱の土台には変わらないものの象徴として亀が彫刻され、中央の柱の土台にはリンゴをくわえた蛇が彫刻されている。また、門の両脇には変化するものの象徴としてカメレオンが配置されている。中央門では、受胎告知、キリストの降誕、祝福をする天使、東方の三博士や羊飼い達などが彫られている。左門ではローマ兵による嬰児虐殺、聖家族のエジプトへの逃避、父ヨセフの大工道具などが彫られ、右門には母マリア、イエスの洗礼、父ヨセフの大工仕事を手伝うイエスなどが彫られている。像の顔はリアルさを追求するため住民から石膏どりさせてもらった顔面像がしばしば使われたが、嬰児虐殺の嬰児の像は病院で死んだ嬰児から型取りしたという話が伝わる。
西側の受難のファサードには、イエスの最後の晩餐からキリストの磔刑、キリストの昇天までの有名な場面が彫刻されている。東側とは異なり、デフォルメされた彫刻でイエスの受難が表現されている。ジュセップ・マリア・スビラックスによる作品で、1998年に完成した。左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ピラトと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴、そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスが配置されている。
東面と西面にはそれぞれ展望台が設けられており、エレベータで登ることができる。
「ロザリオの間」には、写真等をもとに内戦で半ば壊れていた像を復元したものだが、男が悪魔から爆弾を受け取ろうとする「誘惑」と名付けられた、聖書の説話とは関係のない彫刻がある。贖罪教会として作り始められた頃、階級対立からテロ事件が頻発していたが、これは1893年に地元バルセロナのリセウ劇場でオペラ上演中に無政府主義者が爆弾を投げ込み20人が死亡した事件が題材とみられる。事件の場にかつてガウディが恋心を抱いたといわれるパペタ・ムレウの親族がいて、そのことがガウディが彫刻を設けた起因だとする説がある[7]。
聖堂の中の石の柱は樹木をイメージし上部で枝分かれし、窓のステンドグラスは、絵柄ではなく色調主体で、東側が青や緑など寒色系が中心で朝陽、生命の誕生と発展をイメージし、西側が赤や黄など暖色系が中心で夕陽、生命の終焉や犠牲を象徴していると説明される。建設中の聖堂の屋根にはキリスト教で重要なワインとパンを象徴する大型のブドウと麦の穂の外尾による彫刻がいくつも飾られる[6]。
地下聖堂はガウディが初めに手掛けた部分で、ゴシック風の様式である。ここにガウディも眠っている。この他、地下には建築資料の展示室が設けられている。
- サグラダ・ファミリア完成予想模型
- 同じく完成予想模型
- 外尾悦郎、サグラダ・ファミリアの石膏工房にて(2010年)
歴史と展望
宗教専門書店の経営者ブカベリャ(José María Bocabella)が組織したカトリック団体「聖ヨセフ(サン・ホセ)信仰協会」がサグラダ・ファミリア建設の母体となった。19世紀後半の貧富の拡大や疫病に揺れる社会にあってとくに貧者の心の支えになることを期待して計画された。信者の喜捨により建設する贖罪教会で、初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受けた。1882年3月19日に着工したが、意見の対立から翌年にビリャールは辞任。その後を引き継いで2代目建築家に就任したのが、当時は無名であったアントニ・ガウディである。ガウディは設計を変更したものの既存の計画は踏襲された[8]。1926年に亡くなるまでの生涯をサグラダ・ファミリアの設計・建築に捧げた。
ガウディは、模型と、紐と錘を用いた実験道具を主に使ってサグラダ・ファミリアの構造を検討したとされる。ガウディの死後の1936年に始まったスペイン内戦により、ガウディが残した設計図や模型、ガウディの構想に基づき弟子たちが作成した資料のほとんどが散逸した。これによりガウディの構想を完全に実現することが不可能となり、サグラダ・ファミリアの建設を続けるべきかという議論があったが、職人による口伝えや、外観の大まかなデッサンなど残されたわずかな資料を元に、ガウディの設計構想を推測するという形で建設が続けられることになった。ヨーロッパの教会建築の伝統的な工法である組積造で工事が行われており、完成まで300年はかかると予想されていた。
1980年代以降
1980年代から、礼拝堂内部、塔などはRC造が主体の工法が採用されるようになった。工法の変更、スペインの経済成長や拝観料収入などに支えられて進捗は加速した。さらには21世紀に入ってから導入されたITを駆使し、ソフトウェアによる3D構造解析技術と3Dプリンターによるシミュレーション検証、CNC加工機による成果が著しい[9]。
2006年、直下に高速鉄道AVEのトンネルを掘削する計画が持ち上がり、教会建設側は地元自治体などにトンネル掘削中止を働きかけたが拒否された。一連のやり取りの中で、サグラダ・ファミリアの建設が行政に届け出を出していない工事(正確には1885年に建築許可を受けていたが、許可を出した自治体がバルセロナに吸収合併された[注 2]際、必要な更新がされていなかったという[10])であることが明らかになり話題を呼んだ[11]。結局は調整が行われ、サグラダ・ファミリアの建築に対してサグラダ・ファミリア特別法を制定し合法化した上で、徹底した地盤強化を行って掘削工事が行われた。2018年10月20日にサグラダ・ファミリア管財当局が3600万ユーロ(日本円にして約46億8000万円)を今後10年かけて支払うことで、バルセロナ市当局より合法的に建築を行えるよう工事許可を得る形で両者が合意したことが発表された[10][12][13]。2019年6月7日、460万ユーロ(日本円にして約5億6400万)を支払うことでようやく建築許可が下りた[12][13][14]。
2010年11月7日にサグラダ・ファミリアを訪問した教皇ベネディクト16世がミサと聖別(聖堂に聖水を注ぐこと)を行ったことにより、サグラダ・ファミリアはバシリカ(聖堂)となった。教皇によるミサには司教ら6500人が参列し、800人の聖歌隊が参加した[15]。
2013年、9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表した[16]。
2020年の新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の流行を受け、工事の一時中断や資金源である喜捨・拝観料収入が大きく減少したことから、一時は完成が遅延するとされた[17]。2021年12月、全18基の塔のうち9基目の聖母マリアの塔が完成した。この時点で最も高い塔で(138メートル)、全18基の中でも2番目に高い塔となる[18][19]。1976年に8基目の塔が完成していたので[20]、塔の完成は45年ぶりになる。その後、2023年9月までに福音史家の塔4基も完成した[5][21]。
2026年2月、塔の中で最も高い172.5メートルのイエスの塔の頂部が完成した[22]。頂上に立てられた十字架は17mの大きさである[6]。また、イエスの塔の中は色鮮やかなタイルで飾られている[6]。ガウディの没後100年に当たる6月10日に完成記念式典が開催された[22][23]。聖堂でのローマ教皇レオ14世によるミサにはスペイン国王夫妻やサンチェス首相も含む4千人が列席、教会の周囲には13万人が集まり、ミサの後、一般式典が行われた[6]。高さではウルム大聖堂(161.53メートル)やケルン大聖堂(157メートル)を超えて、世界で最も高い教会となった[22][23]。ただし、これで全ての建設工事が完了したわけではなく、この後、さらに本来の正門にあたる栄光のファサード(キリストの復活を象徴するとされる)と4基の塔、及び大階段など[5][24]の建設にとりかかり、全体の完成は2035年頃になる見込みである[25][26][27]。
大階段建設のためには敷地を大幅に拡張する必要があり、建設委員会が土地の一部を取得し階段設置工事を開始した2019年以降、立退きを強いられる地元住民による反対運動が度々報道されている[28]。
2035年に完成とすれば、1980年代に見込まれた約300年という建築期間はその後の30年で半減し、約153年の工期で完成することになる[9]。 なお、建設開始から長い年月が経っているため、建築と並行して既存部の修復も行われている。
- 建設進捗モデル (2025):完成部分は白色、未完成部分は茶色で表している
建設に対する批判
- ガウディの遺志を推測しながら建設が続けられている点についての批判がある。1965年1月、建築家、知識人、批評家らが新聞『ラ・ヴァンガルディア』に建設の継続を批判する意見広告を出した。かつてバルセロナ市の都市計画局長を務めたウリオール・ブイガスは、著書『モデルニスモ建築』で「不遜な建築家がガウディ自身の意図を伝えるものと主張する図面にしたがって(略)建設が進められている」と批判している[29]。ブイガスはその後も一貫して批判を続けた[30]。磯崎新は歴代の建築家(ブラマンテ、ミケランジェロ、ベルニーニ等)がそれぞれ計画変更を重ねながら完成させたサン・ピエトロ大聖堂の例を挙げ、「中途半端にガウディのプランをトレースするようなやり方なら、やらないほうがましでしょう」と述べている[31]。
- ガウディ当時になかった工法を採用している点についての批判もある。彫刻家の外尾悦郎はRC造で建設すると聞いたときは「荷物をまとめて帰ります」と言ったという。2011年のインタビューで外尾は「現代の合理的な工法をどんどん取り入れたり、スピードアップしたりと、社会状況に対応することによって、形が変わってくる。それは私にとっては迎合であり、少し残念な気持ちもします」と語っている[32]。ガウディ自身が手掛けた「生誕のファサード」は彫刻家や職人の手の痕跡が残り、建築としての密度が濃いのに比べて、現代の工法で造られた聖堂内部は美しい空間ではあるが肌理が粗く、「模型がそのまま大きくなった印象」を受けるとの指摘もある[33]。
カタルーニャ独立運動とサグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリアは民族のシンボルとも考えられている。しばしば教会付近がカタルーニャ独立運動に関連するデモ行進の目的地に設定される[34]。2019年10月18日には、教会付近で約50万人による独立を求めるデモ行進が行われたため、安全面を考慮して臨時休業となった[35]。
世界遺産
1984年、ガウディ設計の3作品「バルセロナのパルケ・グエル(グエル公園)、パラシオ・グエル(グエル邸)、カサ・ミラ」が世界文化遺産に登録された。2005年にサグラダ・ファミリアなどが追加登録され、「アントニ・ガウディの作品群」となった。ただし、世界遺産に登録されているのは地下聖堂と生誕のファサードのみであり、「建設中の世界遺産」[36]という表現は誤りである。
日本での受容
日本では今井兼次がガウディをいち早く紹介したが、1970年代頃から次第に美術関係者らの間で注目されるようになり、1984年には映画監督・華道家の勅使河原宏がドキュメンタリー映画『アントニー・ガウディ』を制作し、写真家細江英公が写真集『ガウディの宇宙』を出した。同じ頃に、サグラダ・ファミリアがテレビCMでも取り上げられ、広く一般にも知られるようになった。

