ウルゲン川
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旧名をウルクイ(Ulqui)河と言い、13世紀に編纂された『モンゴル秘史』には「兀魯灰」として漢字音写される。『モンゴル秘史』によると、モンゴル帝国の勃興以前にウルグイ河流域はタタル部のウルス(国土)であり、モンゴル帝国の創始者チンギス・カンがウルクイ河・シルゲルジト河流域の戦いでタタル部を撃破したという。
また、フレグ・ウルスで編纂されたペルシア語史料『集史』には、チンギス・カンが弟カチウンの息子アルチダイにآلقوی(Alqūī)河一帯を遊牧地として与えたと記されており、以後ウルクイ河一帯はカチウン家の領地になったと見られている[2]。
清代に斉召南が編纂した『水道提綱』には、「蘆河、土名は烏爾虎(ウルク)河、索岳爾済山[3]より出でて西南に流れ、ウジュムチン左翼の東を経て、西に折れ、色野爾済河に合流し、ウジュムチン右翼の境界に入って涸れる」とある[4]。但し、村上正二は『水道提綱』でUlquiを満州語で蘆(Ulhu)の意と解釈するのは誤りで、実際には「のろのろとした、水の涸れて水流の弱い」といった意味を持つモンゴル語に由来するだろうと指摘している。
大正4年(1915年)には関東軍による調査が行われており、その際の記録によると「『ウルゲンゴロ(ウルゲン・ゴル)』は興安嶺の西側より出て西流し、東ウジュムチン旗内で渚溜する一流たり。川幅は30m、深さは30cm。増水の際は深さ2mに及ぶ。川底泥沙にして川岸急なり」という[5]。

