ウンマ (シュメールの都市国家)

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初期のシュメールのテキスト、『イナンナの冥界下り』において、イナンナ女神は貧困の中で暮らしていたウンマの都市神シャラ英語版を冥界に連れ去ろうとする悪魔を思いとどまらせる。悪魔たちは最終的に、豪華絢爛な生活をしていたウルクの王ドゥムジをシャラの代わりに連れ去った[5]

前2400年頃、エンメテナ王によって記録されたラガシュとの長期にわたる国境紛争が最も良く知られている[6]。この都市は前2275年頃、ルガルザゲシ王の統治の下で最盛期を迎えた。彼はウルウルクをも支配していた。ウル第3王朝の下で、ウンマは重要な地方的中心となった。ウンマの遺跡で発見された30,000枚を超える粘土板の大半は当時の行政的・政治的文書である。これらによってウンマの出来事について非常に良く見通すことが可能になっている[7]シュルギ王(在位:前21世紀頃)のウンマ暦は後のバビロニア暦の先駆を成すものであり、パレスチナからの追放後のユダヤ人たちの暦(ユダヤ暦)にも間接的には関わりがある。ウンマは青銅器時代中盤に放棄されたと考えられる[4]

考古学

1854年、ウィリアム・ロフタス英語版がテル・ジョハの遺跡を訪れ、1885年にはペンシルベニア大学ジョン・パネット・ピーターズ英語版がここを訪れた。1900年代初頭、ウンマから違法に発掘されたウル第3王朝時代の粘土板が数多く骨董市場に出回り始めた[8]。テル・ジョハはウンマの属領であったギシャ(GishaKissa)であると特定されており、ウンマそれ自体の遺跡は約6.5キロメートル南東にあるウンム・アル=アカリブ〈Umm al-Aqarib〉にある。ウンム・アル=アカリブにおいて、考古学者たちは初期王朝時代英語版(前2900年頃-前2300年頃)まで遡る層を発見した。この層には神殿や宮殿であるとされている大規模建造物が含まれている[4][9]

2017年にスロヴァキア考古・歴史学研究所(the Slovak Archaeological and Historical Institute)がテル・ジョハの発掘を始めた[10]


略奪

ハゲワシの碑英語版に描かれた捕らわれた男。
前2130年頃のウンマの碑文。「ウンマのエンシ、ルガルアンナトゥム英語版は... このE.GIDRU[王笏]神殿をウンマに建て、彼の基礎を埋めこみ、[そして]命令を行使した[訳語疑問点]。この時Si'umがグティ人の王であった。」。ルーブル美術館収蔵。

2003年のイラク侵攻の間、連合軍が爆撃を開始した後、略奪者英語版たちがウンマの遺跡にやってきた。現在、この場所には数百もの溝、盗掘孔があばたのようにあけられている。この過程で、将来の公的な発掘と調査の見通しは非常に暗いものとなった[13]

2011年、発展途上国の文化遺産への脅威を監視するアメリカのNGO団体のプロジェクト、グローバル・ヘリテージ・ネットワーク英語版(GHN)が2003年と2010年の航空写真の比較画像を公開し、全体でおおよそ1.12平方キロメートルの範囲における、この期間の略奪者の盗掘孔による破壊の状況を示した[14]。ウンム・アル=アカリブの状況に関連するさらなる画像は、イラクの考古学遺産の破壊についてのタッカー(Tucker)の記事に掲載されている[15]

ウンマの君主

キシュの王アッガ(前26世紀頃)は恐らくウンマを占領し、その結果初期王朝時代英語版の間、ザバラ英語版は彼に従属していた[16]

ウンマ第1王朝

ウンマ第2王朝

ウンマの役人。前2400年頃。
ウンマの役人ルパド(Lupad)の閃緑岩製の像。ラガシュの土地の購入記録の碑文がある。初期王朝時代3期、前2400年頃[19]

脚注

関連項目

参考文献

外部リンク

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