エド・ベンギャット
From Wikipedia, the free encyclopedia
エド・ベンギャット | |
|---|---|
|
2008年のベンギャット | |
| 生誕 |
エフラム・エドワード・ベンギャット 1927年10月27日 |
| 死没 |
2020年10月15日(92歳没) |
| 職業 | グラフィックデザイナー、書体デザイナー |
| 配偶者 | エリサ・ベンギャット |
エフラム・エドワード・ベンギャット(Ephram Edward Benguiat、[ˈbɛnɡæt]、1927年10月27日 - 2020年10月15日)は、アメリカ合衆国の書体デザイナー、レタリングアーティスト。Tiffany、Bookman、Panache、Souvenir、Edwardian Script、そして自身の名を冠したBenguiatおよびBenguiat Gothicなど、600以上の書体をデザインした。
また、『エスクァイア』、『ニューヨーク・タイムズ』、『プレイボーイ』、『マッコールズ』、『リーダーズ・ダイジェスト』、『フォトグラフィー』、『ルック』、『スポーツ・イラストレイテッド』、『スター=レジャー』、『サンディエゴ・トリビューン』、AT&T、A&E、コカ・コーラ、エスティローダー、フォードなどのロゴタイプのデザインやリデザインでも知られる[1]。ほかに、映画『猿の惑星』(オリジナル版)、『スーパーフライ』、『ナバロンの要塞』のロゴタイプや、テレビドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のオープニングクレジットの書体も、ベンギャットの著名な仕事として挙げられる。
経歴
ベンギャットは、スタン・ケントンやウディ・ハーマンといったジャズミュージシャンのバンドで、ジャズ・パーカッショニストとしてキャリアを開始した。デザイナーという職業を選んだ理由について、彼はインタビューで「私は本当はミュージシャンなんです。ジャズ・パーカッショニストなんですよ。ある日、組合費を払いにミュージシャンズ・ユニオンへ行ったとき、バル・ミツワーやギリシア系コミュニティの結婚式で演奏している年配の人たちばかりが目に入ったんです。いつか自分もああなるのだと思い、イラストレーターになることを決意しました」と語っている[4][5]。

彼のデザインのキャリアは、第二次世界大戦後の表現規制が厳しかった時期に、本人の言葉によれば「cleavage retoucher(谷間の修整担当)」として働いたことから始まった。当時はヘイズ・コードによって映画におけるヌードなどの表現が規制されており、彼の役割はエアブラシなどの技術を用いて、出版物中のヌード表現を除去することであった[3]。その後、ロシア系アメリカ人のグラフィックアーティスト兼カリグラファーであるポール・スタンダードのもと、ワークショップ・スクール・オブ・アドバタイジング・アートでグラフィックデザイン、カリグラフィー、タイポグラフィを学んだ[6]。
1953年に雑誌『エスクァイア』にデザイナーとして採用され、1962年にはフォト・レタリング社にデザインディレクターとして入社した。ここで彼は、商業タイポグラフィやレタリングに写真技術を活用する業務に携わった[7][8]。1970年には、独立したライセンス企業としてインターナショナル・タイプフェイス・コーポレーション(ITC)の設立に貢献し、副社長を務めた[3]。
そのキャリアを通じて、彼は最も多作なレタリングアーティストの一人となり、Tiffany、ITC Bookman、Panache、Souvenir、Edwardian Script、そして自身の名を冠したBenguiatやBenguiat Gothicなど、600以上の書体デザインを生み出した[3]。中でもBenguiatファミリーは、1980年代のスティーヴン・キング作品の代名詞とされ、ドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のロゴやオープニングクレジットにも使用された。また、『スタートレック ジェネレーションズ』や『スタートレック ファーストコンタクト』のメインクレジットにも採用されている[9]。
彼はまた、『エスクァイア』、『ニューヨーク・タイムズ』、『プレイボーイ』、『マッコールズ』、『リーダーズ・ダイジェスト』、『フォトグラフィー』、『ルック』、『スポーツ・イラストレイテッド』、『スター=レジャー』、『サンディエゴ・トリビューン』、AT&T、A&E、コカ・コーラ、エスティローダー、フォードなどのロゴのデザインやリデザインでも知られる[1] 。その他、映画『猿の惑星』オリジナル版、『スーパーフライ』、『ナバロンの要塞』のロゴもベンギャットの著名な作品である[3][10]。『フォクシー・ブラウン』のロゴには、彼の「Benguiat Caslon」が使用された[11]。
ベンギャットのデザイン美学には、ドラマチックなディスプレイ書体、狭い字間(「触れるか触れないか」あるいは「セクシーな字間」とも呼ばれる)[12][13]、そして1970年代のデザインで流行した非常に高いエックスハイトが含まれる。時には華やかなスワッシュが加えられることもあり、これらはすべてITCの書体に共通する特徴であった[14][15][11][16]。こうしたスタイルは、ITCの共同設立者の一人であるハーブ・ルバーリンのデザインにも見られる。ジーン・ゲーブルは、「ITCのデザインが70年代と80年代の顔を作ったと言っても過言ではない。70年代に雑誌を開いたり、広告看板の前を通り過ぎたりすれば、必ずと言っていいほど(それらの書体を)目にした」とコメントしている[17]。
ベンギャットは1961年からニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで教鞭を執り、50年以上にわたって教職を務めた[18][3]。2000年にはアート・ディレクターズ・クラブの殿堂入りを果たしている[19]。
私生活
ベンギャットは、亡くなるまでの38年間、妻のエリサ(旧姓ハルペリン)と連れ添った。93歳の誕生日を12日後に控えた2020年10月15日、ニュージャージー州クリフサイド・パークの自宅で死去した[3]。
熱心なアマチュアパイロットでもあり、「ザ・フライング・バードメン(The Flying Birdmen)」という名の飛行クラブに所属していた[20][6]。