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エリスタヴィ

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エリスタヴィ(アソムタヴルリ: ႤႰႨႱႧႠႥႨ、ムヘドルリ: ერისთავი、ラテン翻字: eristavi)は、古代から中世にかけてのジョージアにおいて、地方統治制度を担う官職および称号であり、国家の軍事的・行政的支配を地域単位で司った。語源は古ジョージア語で「エリ」(ႤႰႨ、eri、「軍隊」「人々」の意)の「タヴィ」(ႧႠႥႨ、tavi、「長」「統治者」の意)に由来し、当初は軍の司令官を意味したが、階級社会と国家の形成とともに軍事権と民政権が融合し、地方行政を統括する立場へと変化した[1]。王権が強固であった時期には、中央から派遣される官吏であったが、次第に有力家系による世襲領主へと変質した。15世紀に入って統一王国が崩壊すると、特定の家系に属する姓としての称号へと形骸化した。エリスタヴィが管轄・統治する行政区画・領地は、サエリスタヴォ(ジョージア語版)(საერისთავო、saeristavo、「エリスタヴィの地」の意)と呼ばれた。

起源と伝説的成立

カルトリ語(アソムタヴルリ)の文字が刻まれた銀貨。6世紀のイベリア王ステパノズ1世(ジョージア語版)によって鋳造された。

エリスタヴィという地位は、氏族制度の内部で形成されたものと考えられる。当初、「エリスタヴィ」は軍隊の長、すなわち司令官を意味していた。階級社会と国家の形成後、軍事権と民政権が融合すると、エリスタヴィは古代イベリア王国における軍事行政単位の管理者となった。11世紀の年代記作家レオンティ・ムロヴェリ(ジョージア語版)の記述によれば、イベリア王パルナヴァズ1世(紀元前3世紀)は、7人のエリスタヴィと1人のスパスペティ(ジョージア語版)(エリスタヴィたちの統率者)を任命した。

パルナヴァズ1世が任命した7人のエリスタヴィとその管轄地域は、次の通りである。

  1. マルグィ(またはアルグヴェティ)のエリスタヴィ - リヒ山脈からエグリシ(ジョージア語版)国境まで
  2. カヘティのエリスタヴィ - カヘティ(ジョージア語版)とクヘティ(ジョージア語版)(アラグヴィ川からヘレティ(ジョージア語版)まで)
  3. フナニのエリスタヴィ - ガルダバニ(ジョージア語版)(ブルドゥジ川(ジョージア語版)からトビリシまで)
  4. サムシヴェルディのエリスタヴィ - タシリ(ジョージア語版)とアショツク(アルメニア語版)
  5. ツンディのエリスタヴィ - ジャヴァヘティ(ジョージア語版)、コラ、アルタアニ(ジョージア語版)(パラヴァニ湖からムツクヴァリ川の源流まで)
  6. オズラヒのエリスタヴィ - サムツヘ(ジョージア語版)とアチャラ(ジョージア語版)(タシスカリ(ジョージア語版)からアルシアニ山脈まで、ノステ(ジョージア語版)の源流から海まで)
  7. クラルジェティのエリスタヴィ - アルシアニ山脈から海まで

また内カルトリは、前述の7人のエリスタヴィの長でもあったスパスペティ(カルトリのエリスタヴィ)が統治した。

西ジョージアにおける国家制度としてのエリスタヴィ制は、東ジョージアの制度に倣って10世紀以降に定着したとされる。この時期から、アブハジア王が任命した官吏としてのエリスタヴィが史料に登場する。アブハジア王は、自身に従属する東ジョージアの各地方に、管理者としてエリスタヴィを配置した。史料は10世紀以前についても、リフティメレティ(ジョージア語版)のエリスタヴィについて言及があるが、これらは後世の年代記作者が当時の制度を便宜的に遡って適用した可能性が指摘されている。

中世初期と世襲化の進展

当初、エリスタヴィは古代イベリア王国の官吏であった。次第にエリスタヴィはその官職を世襲化していったが、世襲化の背景には外国勢力の介入が寄与している。レオンティ・ムロヴェリおよびジュアンシェル・ジュアンシェリアニによれば、世襲化は6世紀に起こったとされる。当時、エリスタヴィたちはササン朝ペルシアの王(シャーハンシャー)やビザンツの皇帝から、地位の永続性(世襲)を認める勅許状を受け取っていた。

イベリアにおける王政の廃止(523年[注釈 1])後、6世紀後半から9世紀初頭にかけて、イベリアの統治者として「カルトリのエリスタヴィ」、あるいはエリスムタヴァリ(ジョージア語版)(「エリスタヴィの長」の意)が登場した。エリスムタヴァリは、新たな東ジョージアの封建国家の指導者としての役割を担った。

10世紀の地方統治と有力家系

クムルド大聖堂(ジョージア語版)の964年の碑文。アブハジア王レオン3世(ジョージア語版)の治世下でエリスタヴィであったズヴィアドについて言及がある。

9世紀から10世紀にかけて、ジョージア南西部には「イベリア人のクロパラテス領」(タオ・クラルジェティ)や、888年以降の「カルトヴェリ人の王国」(イベリア王国)が存在した。この時期、エリスタヴィおよびその上位職である「エリスタヴト=エリスタヴィ」(エリスタヴィの中のエリスタヴィ)は、統治王朝であるバグラティオニ朝の成員によって世襲された。

10世紀、アブハジア王が内カルトリに配置した官吏統治者は、カルトリのエリスタヴィと呼ばれていた。王は地元の有力領主であるトベリ家(ジョージア語版)や、自身の王子たち(後のレオン3世(ジョージア語版)など)をこの職に任命した。970年代には、有力領主イヴァネ・マルシスゼ(ジョージア語版)がカルトリのエリスタヴィを務め、後のジョージア統一において重要な役割を果たした。

10世紀後半のジャヴァヘティ地方においてもエリスタヴィが置かれていた。クムルド大聖堂(ジョージア語版)の964年の碑文には、アブハジア王レオン3世の治世下でエリスタヴィであったズヴィアド(マルシアニ家(ジョージア語版)の一員と推定される)への言及がある[2]。

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შეწევნითა ღმრთისაჲთა, იოვანე ეპისკოპოსმან დადვა საძირკველი ამის ეკლესიისაჲ ჴელითა ჩემ ცოდვილისა საკოცრისაითა, ლეონ მეფისა ზე, ადიდენ ღმერთმან. ქორონიკონსა ას ოთხმოცდა ოთხსა, თთუესა მაისსა მეოცესა დღესა, შაბათსა, ახალსა მთუარისასა, ერისთავობასა ზვიადისსა. ესე ბალავარი მან დადვა. ქრისტე, შეიწყალე მონა შენი იოანე.
神の助けによって、主教イオアネは、この聖堂の礎を、罪人なる私サコツァリの手によって据えた。レオン(ジョージア語版)王の治世においてである。神がレオン王を崇め給わんことを。コロニコン紀元一八四年、五月二十日、土曜日、新月の時、ズヴィアドがエリスタヴィの位にあった日のことである。この礎石を彼が据えた。ハリストスよ、あなたの僕イオアネを憐れみ給え。

統一ジョージア王国の絶頂と中央集権化

11世紀から13世紀の統一ジョージア王国時代、ダヴィト4世建設王は中央集権化を推進し、王権に敵対する有力なエリスタヴィ(バグヴァシ家(ジョージア語版)など)を打倒した。ダヴィト4世は中央官庁システムを整備し、地方のエリスタヴィを中央政府の監視下に置くことで、その独立性を弱体化させた[3]。

しかしダヴィト4世の死後、エリスタヴィの役割は再び増大した。タマル女王の治世下(1180年代)には、スヴァネティ、ラチャ(ジョージア語版)、オディシ(ジョージア語版)、カルトリ、カヘティ(ジョージア語版)、ヘレティ(ジョージア語版)、サムツヘ(ジョージア語版)といった主要なサエリスタヴォが確立していた。これらの有力なエリスタヴィたちは、しばしばエリスタヴト=エリスタヴィの称号を併せ持った。

制度の形骸化と消滅

15世紀に統一王国が崩壊すると、エリスタヴィ制は決定的な変容を遂げた。西ジョージアでは、有力なエリスタヴィたちが実質的な独立を勝ち取り、ムタヴァリへと昇格した。東ジョージアでは、エリスタヴィの地位は世襲領主階級であるタヴァディ(ジョージア語版)へと再編された。一部の封建領主(クサニ(ジョージア語版)、アラグヴィ(ジョージア語版)など)は依然としてエリスタヴィの称号を保持したが、それはすでに官職ではなく特定の家系を指す姓(苗字)へと形骸化していた。

統治機構と関連官職

12世紀ジョージアの王ダヴィト4世のイコン(聖カタリナ修道院)。中央官庁システムを整備し、地方のエリスタヴィを中央政府の監視下に置く改革を行った。

中央政府(サヴェジロ=サウフツェソ)

ダヴィト4世による改革以降、ジョージアの統治は中央官庁と地方行政の均衡の上に成り立っていた。

  • サヴェジロ(ジョージア語版)(სავეზირო、saveziro) - 首席大臣(ムツィグノバルトゥフツェシ)を筆頭とする大臣たちの評議会(内閣)。地方のエリスタヴィの権限を監視・制限する役割を担った。
  • サウフツェソ(ジョージア語版)(საუხუცესო、saukhutseso) - 各大臣が統括する中央官庁(省庁)。財務、軍事、警察、家政などの実務を司った。

地方行政の階層構造

エリスタヴィが統治する公国領(サエリスタヴォ)は、軍事的・行政的な階層構造に基づいていた。

王室領と実務官

エリスタヴィが管轄する王国領とは別に、王の直轄地(王室領)は以下の官吏によって管理された。

  • モウラヴィ(ジョージア語版)(მოურავი、mouravi) - 王室領の代官。後に都市や地区の行政官として重要な役割を果たすようになった。
  • ムゲ(მგე、mge) - 村落レベルの実務官。徴税や農作業の監督に従事した。

叙任儀式

エリスタヴィの任命に際しては、特別な儀式による叙任が行われた。13世紀のエリスタヴィ叙任に関する規則は、今日まで伝えられている。

脚注

参考文献

外部リンク

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