エリスタヴト=エリスタヴィ From Wikipedia, the free encyclopedia エリスタヴト=エリスタヴィ(アソムタヴルリ: ႤႰႨႱႧႠႥႧ-ႤႰႨႱႧႠႥႨ、ムヘドルリ: ერისთავთ-ერისთავი、ラテン翻字: eristavt-eristavi)[1][2]は、中世のジョージアにおける、高位の封建領主あるいは官職の称号である。逐語的には「エリスタヴィの中のエリスタヴィ」(公の中の公)を意味し、日本語では「大公」や「エリスタヴィの長」とも解釈される[3]。 エリスタヴト=エリスタヴィは、複数のエリスタヴィ(公)を統括する立場、あるいは大規模なサエリスタヴォ(ジョージア語版)(公国)の首長を指す称号である[1]。ジョージア語の史料においては、単なる「エリスタヴィ」や、初期の統治者称号である「エリスムタヴァリ(ジョージア語版)」(エリスタヴィの長)など他の用語としばしば明確に区別されずに用いられた。文脈によっては「メペ」(王)、「ヘルムツィペ(ジョージア語版)」(君主)、「ムタヴァリ(ジョージア語版)」(公)と称されることもある。 歴史 タオ=クラルジェティ王国 タオのエリスタヴト=エリスタヴィであったバグラト2世のレリーフ(オシュキ修道院(英語版)) この称号は、特にタオ=クラルジェティ王国を支配したバグラティオニ家において広く用いられた。9世紀から10世紀にかけて、バグラティオニ家からは以下の著名なエリスタヴト=エリスタヴィを輩出している。 アダルナセ2世(英語版)(870年没) アダルナセ3世(869年没) ダヴィト(ロシア語版)(908年没) アショト1世(ジョージア語版)(918年没) グルゲン2世(英語版)(941年没) バグラト2世(966/969年没) バグラト2世(英語版)(994年没) ジョージア王国 11世紀から15世紀のジョージア王国時代、エリスタヴト=エリスタヴィは中央政府(王)から任命される地方官職としての性格を強めた。この時期の主なエリスタヴト=エリスタヴィと支配家系は以下の通りである。 カルトリ - スラメリ家(ジョージア語版)(リパリティド家の傍系) カヘティ - ザガニスゼ家 サムツヘ(ジョージア語版) - ジャケリ家(ジョージア語版)(兼スパサラリ(ジョージア語版)) オディシ(英語版) - ダディアニ家(ジョージア語版) スヴァネティ - ヴァルダニスゼ家(ジョージア語版) スフミ - シェルヴァシゼ家 ラチャ(ジョージア語版)およびタクヴェリ(ジョージア語版) - カハベリスゼ家(ジョージア語版) ヘレティ(ジョージア語版) - グリゴリスゼ家 この時代のエリスタヴト=エリスタヴィは、形式上は「エリスタヴィの中のエリスタヴィ」を称しながらも、実際にはその配下に下位のエリスタヴィを伴っていなかった。そのため、称号の字義通りの意味と実態は必ずしも一致していなかった。 その後の変遷 15世紀から16世紀にかけてジョージア王国が解体・弱体化する過程で、一部のエリスタヴト=エリスタヴィは、中央権力から独立、あるいは半独立したサムタヴロ(ジョージア語版)(公国)のムタヴァリ(ジョージア語版)(公)へと変貌を遂げた。 参考文献 1 2 გუჩუა ვ., 百科事典『サカルトヴェロ』, 第3巻, 53頁, トビリシ, 2014年. ↑ カルトリ・ソビエト百科事典, 第4巻, 191頁, トビリシ, 1979年. ↑ Bondo, Kupatadze (2009). საქართველოს ხელისუფლების ისტორია (ジョージア語). Tbilisi: უნივერსალი. p. 47. Related Articles