エルンスト=ギュンター・バーデ
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バーデは、1897年8月20日にドイツ帝国のプリッツヴァルクに生まれた。1914年、ドイツ帝国陸軍に志願し、第一次世界大戦に参戦した。
第二次世界大戦が勃発すると、バーデは待機司令官に任じられた。その後、北アフリカの第15装甲師団に派遣された。1942年4月15日からはリビアやキレナイカで第15狙撃連隊の指揮を執っている。
バーデはスコットランドのキルトを纏い、両刃のクレイモアをもって度々戦場に現れたため、ドイツアフリカ軍団の伝説として名が通っていた[1][2]。1942年5月、彼はビル・ハケイムの戦いに参戦した。この戦いで彼は騎士鉄十字章を受章している。7月28日にエル・アラメインで負傷したため、一度アフリカを離れてドイツへ帰国した。
1943年8月初めに行われたシチリアからイタリア本土への退却では、バーデはメッシーナ海峡での防衛任務に就いた[1]。翌年のモンテ・カッシーノの戦いには第90歩兵師団を率いて参戦。彼は時折見せる風変わりな行動や、頻繁に行う最前線の視察訪問などで知られていたため、彼の部隊の兵士からは人気があったという[3]。
1945年4月24日、ホルシュタインのネヴェルシュタヴェン付近でバーデの車両がイギリス空軍の攻撃に遭い、彼は重傷を負った。5月8日、バート・ゼーゲベルクの病院で壊疽により死去[1]。ドイツの降伏と同じ日であった。