エールアンテール
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概要
エールフランス・UTAフランス航空・フランス国鉄とフランスの銀行などが出資して、1954年11月12日にLignes Aeriennes Interieuresとして設立された。
1958年3月16日上でパリ - ストラスブール間で商業運航を開始したが、当初は自社機材もなく、エールフランス便としての季節運航のみであった。
1958年に社名をエールアンテールに変更し、1960年2月23日にはフランス本土とコルシカ島を結ぶ定期便の運航が認められ、徐々にフランス国内線のネットワークを拡大した。
1965年には、初のジェット機としてシュド・カラベルを導入している。1974年からは自社発注ジェット機材の導入も開始され、フランス国内線を強化していった。
1990年代初めまでのエールアンテールは、エールフランスやUTA、TATと並び、フランスの4大航空会社の1つとなっており、フランス国内線を運航する航空会社としての基盤を確立していた。しかし、出資者の1つであるフランス国鉄は、1981年より当時世界最速の営業列車であるTGVの運行を開始しており、TGVと併走する国内線については縮小を余儀なくされた。縮小された路線の中には、エールアンテールにおける幹線路線も含まれていた。また、1992年、UTAがエールフランスに吸収合併されたのと同時期に、エールアンテールの株式のほとんどをエールフランスが保有することになった。
1995年にはEU域内での航空自由化により、フランス国内線へEU各国の航空会社が新規参入することも、特段の制限なしに可能となったことから、エールアンテールのフランス国内線ネットワークが脅かされた。このため、社名をエールアンテール・ヨーロッパに改称、フランス国内線だけではなくEU域内の国際線展開を進めたが、1997年4月1日をもってエールフランスへ完全に吸収された。
機材

発足後しばらくはエールフランスの中古機材の導入ばかりで、初のジェット機であるシュド・カラベルも例外ではなかった。
同社が初めて自社発注を行なった機材は、1974年5月16日に発注したダッソー メルキュールである。しかし、この旅客機はエールアンテール以外に発注した航空会社は存在せず、原型機を合わせてもわずか12機しか製造されなかった。ただし、エールアンテールにとっては使い勝手のいい機材だったようで、後に原型機も購入の上運用していた[2]。メルキュールは1995年4月29日に退役したが、それまでに延べ36万時間の飛行時間を記録し、およそ44万便で4400万人の乗客を運んだうえで、死亡事故ゼロという実績を残している。
本格的に自社発注機材を運行し始めるのは、1976年に導入したエアバスA300で、以後エアバス社の機材を導入するようになる。特にA319・A320・A330は、エールアンテールがローンチカスタマーとなっている。
- シュド・カラベル
- ダッソー メルキュール
- エアバスA300
- エアバスA320
- エアバスA330
- 末期の「エール・アンテール・ヨーロッパ」時代のA320。エールフランスと同じデザインになっている。
事故
- 1992年1月20日、リヨン・サン=テグジュペリ国際空港を発ちストラスブール空港への着陸進入中だったエールアンテール148便(エアバスA320)が、空港から南西16kmの山の尾根の森林に激突し、墜落。乗員乗客96人のうち87人が死亡した。フライトコンピュータへの入力を誤ったことで、通常の4倍以上の急降下となってしまったことが原因だった。機材に機械的故障はなく、制御に問題ない状態で地面に衝突する、CFITと呼ばれる形態の航空事故である。地面への接近を警告する対地接近警報装置が搭載されていなかったことも事故の一因であった。